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やり直しについて考える
「やり直しのきかない人生なんてない」
はるか昔に観た『ピアノ・レッスン』(ジェーン・カンピオン監督)での主人公のセリフだ。
「やり直し」にもいろいろある。
原稿を書き直す、男女の関係をやり直す、など、何でもやり直すことができる。やり方も人それぞれ。
前述の映画をオススメしてくれた高校時代の国語教師S子先生は、当時40代後半、舞の海そっくりの体型「で、真っ黒で多くて硬い髪をオカッパにし、化粧もせず、まるでジャイ子がそのまま大人になったかのような風貌。
平たく言うとブスだったのだが、ある日から変わり始めた。
みるみる痩せ、髪を整え、薄く化粧をし、いつの間にか「小綺麗なおばちゃん」になっていた。恋でもしたのか。いずれにせよ希望あふれる実例だ。
ちなみにS子は年間300本ほど映画を観るオタクで、授業の最後に突然「5分で作文を書け」と言ったりし、いつも考えておくことを習慣づけてくれた恩師だ。
別の若い女教師のやり直しはまた方向が違った。
くせっ毛のショートボブ、下ぶくれ、一重まぶたの教師はやはり化粧をしておらず、いつもベージュや茶色の服。
早稲田大学卒業のこの教師、授業を丸ごとつぶして、大学時代の友人の恋話に費やしたりした。
最初のうちこそ「教師の恋バナ」というイレギュラーなぶっちゃけ感に沸いた教室だが、同じ話にそのうち飽き、授業をつぶす装置としてのみ機能するようになった。出てくる恋バナも登場は友人のみ。大学時代を振り返ってばかりの話題は、できなかった恋に対する哀しい咆哮に聴こえなくもない。
その彼女も後日、やり直しをはかったと風の便りに聞いた。髪を伸ばし、往年の中山美穂のようなパーマをあて、存在感のあるアイシャドウをのせ、燃えるような赤い唇で、純朴な理科教師(妻帯者)のハートを見事射止めたそうである。 ことの真偽は知らないが、輝かしい沼への直滑降と言って差し支えないだろう。が、やり直しはやり直しだ。失敗だと気づいたらまたやり直せばいいだけの話だ。
やり直し事例は女子に多く、もちろん私もやり直し常習者だ。
しかし男性の事例はあまり見ない。振り返らない主義なのか、それとも振り返るパワーがないのか。そう、やり直しには捨て身の覚悟が必要だ。
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先日、SODA!というバンドのライブに行った。なんと、あの浅野忠信が率いるバンドだ。
会場はオシャレな男女でいっぱい。隣に立つ若者は、ヒゲ面だが三つ編みおさげ&スカート&白い革ジャンだった。オシャレ汁に昏倒しそうだったが持ちこたえた。
ビッグネームに関わらず、チケットは1500円。や、安い。絶対に何かがある予感がバリバリする。小洒落たDJが終わり、満を持してメンバーが入場。曲が始まり、その予感が当たったことを知る。
曲調をなんと表現するか迷うが、ミュージックステーションに出られないことは間違いない。
サビはないようだ。あったかもしれないが気付かなかった。
歌詞は「ゲット・パワー」「騒ごう」「踊ろう」の直球ぶり。歌の前後には解説付きだ。
次の曲が始まったが、前の曲との違いは分からない。そんな勢いで20〜30曲はやったのではないか。
とまどう観衆。
メンバーの激うま技術が、曲の分からなさに拍車をかけるトラジェディ。演奏の上手さがここまで裏目に出たバンドは見たことがない。
しかし、5曲目あたりで踊り始める者も出た。私と友人もそうだ。
慣れたのか。諦めたのか。
いや、本気を感じたのではないか。
照れ隠しにギターをかっこ良く鳴らしたりしない。
誰かの曲を歌ってお茶を濁したりしない。
セックスピストルズのアルバムは退屈でチープで聴いていられないけど、シド・ヴィシャスとジョニー・ロットンは好きだ。
ラモーンズの曲は聴き分けられないけど全部好きだ。
いや、好きだというより、「なぜこんな未完成と思われるものを堂々とできるのか」という謎に魅了される。もちろん土下座の態勢で。
浅野忠信ほどの存在感を持つ役者はそうはいない。話題の映画にはたいてい出ているし、たくさん賞を取っている。
しかし40歳で、自分の中から湧き出づる変な石油に火を灯すような音楽活動をしている。10代でやっておくべきことを、今、やり直している。しかも胸を張って。
「やり直しのきかない人生なんてない」
なんと希望に満ちた言葉か。やり直しを見るのは気分がいい。力がみなぎる。
吹けないブルースハープをまるで終末のラッパのように吹き鳴らす浅野忠信は、ちょうカッコ良かったです。
ここで視聴できることを知る。全曲のケツに「!」付き。
かっこいいぜ。
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