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2012年6月25日の月曜日を
お知らせします

メキシコに行く準備をしていて思い出すのが、10余年前のロシア旅行。

思いのほか長い思春期に苦しんでいた20代の私が、人生を投げ出してシベリア鉄道に乗ったのだ。
日記を読み返すと、もう別人のようだ。若さが痛いし恥ずかしい。
恥ずかしいと感じるということは、この旅行を契機に、ヒトとしてずいぶんマシになったわけだ。ハズだ。きっとそうだ。たぶん。もしかしたら。

「シベリア鉄道日記」、全6回予定。

シベリア鉄道日記 第1回

2/21(木)

 ロシアと日本は意外と近い。
 朝、池袋を出て、午後イチに新潟空港に到着。そこからウラジオストクへは飛行機でたったの1時間半だ(※2012年現在、新潟からの空路直行便はなく、成田からの週2便のみ)。ウラジオストクで一泊してからシベリア鉄道に乗り、一路モスクワに向かうのだ。

 シーズンオフのためか、乗客の半分は帰省かビジネスらしき異国の中年男性。
 オトナのオトコのスメルで満タンな小型機は、どこのトップガンかと思うカーブを描いて前のめりに出発した。
 後で聞くところによると、日本人は命の値段が高い(保障が高額)ため、日本の航路は腕利きの元軍人パイロット<イメージ>が務めるそうだが本当だろうか。

 ウラジオストクには17:20に到着。日本との時差は1時間。時計を1時間すすめる。

 税関でまず押し問答。コレを皮切りに、ロシア旅行では押し問答を次々と繰り広げることになる。

 お互いに母国語でない英語はファンシーなほど通じない。
 税関の女性職員(ヒョードル似)のコマンドサンボ英語に、私のわびさび英語はかき消され、だんだんと自分がスパイ行為のため入国したような気がしてくる。別室に連れて行かれるのも時間の問題だ。消息はここで絶たれ、もう日本の地を踏むことはないだろう。サヨナラミナサン。学生会館のシャッターを壊したのは私ですゴメンナサイ。部室のアンプに落書きをしたのも私です。渡り廊下で焚き火をしてタイルを焦がしたのも私…

 と懺悔をしたのが奏功し、商用で訪れていた丸紅のMさんが助けてくれた。

 みんな、覚えておいてくれ、ロシアでは困ったときは懺悔だ。いやちがう、英語はほぼ通じないので指差し会話帳を持参だ。

 ホテルの宝石店で、ドルからロシアの通貨ルーブリ(補助単位はコペイカ)に両替。
 1ルーブリ(p)=100コペイカ(k)=4.4円(2012年6月現在は2.4円)
 物価はモスクワに近づくにつれ高くなったが、列車に乗車中はパンやピロシキが4〜6p、ペットボトルの水が5p、食堂車で食事をしても100〜150p程度だった。

 ウラジオストクは、いわゆる「不凍港」として、極東の貿易&軍事戦略において重要な役割を果たしてきた港町。この日は中古車を満載したタンカーに加え、普段は沖にいるという軍艦が停泊していた。
 港町らしく軍人が多い。煙草が吸いたくなって、道行く軍人にマッチを借りた。実はライターを持っていたのだが「お前の勇気を試してやる」とココロのハートマン軍曹から指令が出たのだ。平静を装ったが、心臓がノートルダム寺院の鐘ぐらいガランガラン言っていた。しっしっしかし肝試しは成功だ。

 道路は凍結しているが、ドライバーたちはノー・フィアー。すごいスピードだ。ウラジオストクの車の9割は日本から輸入した中古車だそうだ。交通警察が取締を行なっている。シートベルトをしていない場合の罰金は50ルーブリとのこと。
 整然としていながら趣きのある古い街並みは、ロシア革命以前にドイツ人が設計したものだという。

 薄暗い夜の街にネオンが付き始めた。夕方はマイナス3℃だった気温も下がってきたようで、頬が痛い。夜景がキレイだ。
 一緒に歩いていたMさんが言う。

「ウラジオストクはロシアのサンフランシスコと呼ばれているんですよ」

なるほど。納得の美しさですね。

「すいません言い過ぎました」

 …Mさんは少し盛って話す人なのかもしれないな。教えてくれた「無敵のロシア人歩き」は信じて大丈夫だろうか。 帽子を目深にかぶり、ポケットに手を入れ、猫背かつガニマタで。これさえマスターすれば、強盗や悪徳警官も寄せ付けませんよ、とのことだが。

ウラジオストク地図




ロシア日記 無名戦士の墓

【「無名戦士の墓」の前で記念撮影】
この白いもやもやが人の顔に見えるのは
断じて気のせいだ。

ロシア日記 氷海

ロシア日記 氷海

2/22(金)

 早朝から起きだし、凍った道をツルツルと躍るように出動。港近くの市場を散策だ。
 果物、パン、魚の燻製から食器や靴下まで何でも売っている。ウキウキ買い物。

 ホテルが一緒の日本の大学生と話したところ、知り合いが街を案内してくれるというので同行。
 スバル車で現れたマッドサイエンティスト風のロシア人男性に連れられ、金角湾を一望できる展望台へ。
 かなり沖まで凍っているようだ。海なのに。よくみると遠くに黒い点が。釣り人だ。
 この金角湾は11月末には凍り始め、氷の厚さは1mにも達するという。そこに穴を開けて釣りをする人も多いそうだ。

 ウラジオストク周辺には大学が10校もあるそうだ。案内してくれた方も学者で、Sergey Vysotskyさん。読みはまさかの「セルゲイ・ウソツキー」。
 思わず聞き返す失礼な私にも、オトナな彼は微笑で応えてくれた。実は日本の大学でも教鞭をとったことのあるそうだ。さぞかし名前ネタでイジられたことだろう…私が代表してあやまりますっ

 冒頭でも触れたが、ロシアでは英語がまったく通じない。彼のように英語で話してくださる方はかなり貴重な存在だ。今思えば、旅の始まりに彼と出会え、ロシア現地事情をお聞きできたことで、どんなに助かったことか。

 レストランでおいしいボルシチをごちそうになった。

ロシア日記 虎と熊
↑ウラジオストクミュージアムの剥製展示は必見だ。
森の中で虎と格闘する熊、蛇に捉えられるリスなど、ほとばしる躍動感でもって再現されたシーンの数々に震えた。
「ロシアではよくある光景だよ」(ウソツキーさん談)

【次週予告】

来週はいよいよ
シベリア鉄道に乗り込みます。

ロシア日記 ロシア号

★ルチャ部活動日誌★

部員No.6のMちゃんから偵察報告。
シャレオツな男性が…
ルチャバッグ

なにいーっ

ルチャバッグ
こちらのショップの物のようです。 いーなー
引き続き目撃情報もお待ちしております☆

あと、ルチャリョーシカの仕上げのニス塗り。
ルチャリョーシカ
もっとペッカペカにしたいね。
またやろう☆

じゃあまたらいシュー☆

シベリア鉄道日記 第2回

2/22(金)

 世界最大の国土を誇るロシア。その広大な国を横断する「シベリア鉄道」は、一般にウラジオストクからモスクワまでを指し、全長9297km、世界最長の路線だ。寝台列車「ロシア号」で6泊7日の行程である。
 15両以上はあったであろう長い車両は、客室(1等、2等)、車掌室、食堂車などで構成されている。風呂はない。
 私が利用したのは2段ベッドが2つの4人部屋(たしか2等)で、片道4659ルーブリ(約2万円)だった。ちなみに、途中下車でも同じ値段。つまり乗車距離に関わらず、一度降りるともう一度、同じ値段のチケットを買う必要がある。

ロシア号

 ウラジオストクを一緒に散策した日本の大学生2人組と同室であった。サトゥとタカシーマ。非常に気持ちのよい人たちなんだ彼ら。おかげで楽しく過ごせた。ありがとう。

 太古の時代から不良たちの社交場であったスモーキングパラダイス、平たく言うと喫煙所で、ふたりのロシア軍人と知り合った。

 ふたりとも名はユーリ。体格の良いユーリは陸軍で、重量挙げ選手。キャプテンと呼ばれていたユーリは潜水艦乗りで、テニスのウラジオストクチャンピオン。そしてグルジア人。
 グルジア人というだけで、ロシア連邦軍においては地位が高いそうだ。国内に政情不安を抱えるロシアならではのえこひいきか。
 あと、ドイツ帰りの兵士には綺麗な家があてがわれるんだと、デブの方のユーリは羨ましそうに話していた。

 彼らは親日家であった。というより「アメリカ嫌い」だったようだ。
 日本は原爆を落とされたからアメリカがキライだな?つまり我々は仲間だ、という理屈は、飲めば飲むほど輝きを増し、我々は独自に日露永久友情条約を締結することとなる。写真は条約締結の瞬間だ。
シベリア鉄道 酔っぱらい
お察しの通り、翌日には忘れた。

 鉄道に乗っている間じゅう朝から酒盛りだったのだが、それもそのはず、2月23日は「祖国防衛の日」。男性のためのお祭りという意味合いが強い祝日だそうだ。
 飲んでは寝て、寝て起きてはまた飲み、オンナの話をし、ロシア最高〜と歌い出し、また寝る。
 祝日の正しい過ごし方を教えられた思いだ。

 彼らの誘いでウォッカの洗礼を受ける。

 ウォッカの飲み方には流儀があるそうだ。
「少しずつ飲む」「何かで割って飲む」ことは推奨されない模様。つまり禁止。注がれた分だけはその場で一気に飲み干す。チェイサーはまさかの、そして当然のビール。
 この恐れを知らぬ流儀、軍人仕様かと思ったが、ロシア大使館のサイトにも同様の記述あり。

 おつまみとしていただき、電撃が走る美味しさだった「ソーク」という豚の脂身の塩漬け。それに生のにんにくを乗せたものはピリッと辛く、ガツンとしょっぱく、それでいて強い漢(酒)のすべてを受け止めるまろやかな懐の深さ…!かつてカープに在籍した攻守揃った外国人助っ人ラロッカのようなヤツだ。
 例えがわかりにくければスルーしてくれて構わんよ。
 ほかにも、トマトやキュウリなどの生野菜に塩をつけて、延々とつまみつつ、視界がせまくなるまでウォッカを飲んだ。
 日本から持って行った鯖の味噌煮缶、さんまの蒲焼き缶は好評。
 小梅ちゃんを食べさせるとほぼ全員が迫力のある表情を見せた。

king crimson クリムゾン・キングの宮殿
まさにこんな感じ。

シベリア鉄道 酔っぱらい

 ウォッカの洗礼を受け、死んだようにこんこんと眠るサトゥ。念のため、息をしているか確かめること、数度。
 翌日遅く、奇跡の生還を果たした後の彼は、ユーリたちの客室を「ユーリー屋敷」と名付け、恐れて近寄らなかったという。
 確かめる私も酔っぱらいの最終形態にメタモルフォーゼ。つまりゲロリストだ。
 しかし翌日以降はいくら飲んでも平気になった。気候のせいだろうか。

シベリア鉄道 風景

シベリア鉄道 風景

シベリア鉄道 風景

シベリア鉄道 風景

 ↑3日間、同じ景色が続いた。国土の広大さが違う。

 さて、前述の喫煙所は、車両の繋ぎ目、新幹線で言うとデッキ部分にある。社交場ともなるが、非常にやかましく、かつ危険な場所でもある。特に女性の単独行動は。

 若い軍人が二人、何事か話しかけてくる。話しかけるというよりまくし立てている。ロシア語なのでさっぱりだ。なんですか?エイゴハナセマセンカ?ノーノードントアンダスタンロシアゴワカリマセーン

 しかし彼らは真剣だ。ツンドラの永久凍土をも溶かすほどの情熱でもって、私がッ泣くまでッ話すのをやめないッ勢いだ。
 ここであることに気づく。彼らはふたりとも、手に持った何かをアピールしながら話しているのだ。

 言葉は通じなくても、音楽が国境を越えるように、分かり合える瞬間があるものだ。
 ココロのレディオステーションでスプリングスティーンがウィアーザゥワーと絶叫する中、私は理解した。
 彼らが手にしていたのは、世界共通言語と言っても差し支えないであろう、不純異性交遊で使用されるゴム製品だ。
 あらあらまあまあ。
 ではワタクシは失礼つかまつりたくぞんじたてまつり…!

 と言ったところで失礼させてはもらえない。安全地帯(車両)に続くドアはすぐそこだ。しかし手が届かない。さすが、体全体の力は世界最高峰を誇るロシア人だ。肩を押さえられると1ミリも動けない。こんなことならヴォルク・ハンに弟子入りして千のサブミッションを習得しておくべきだった。アンドレイ・コピィロフでもいい。
 やめて。気持ちはうれしいけど、わたし初めての時はお花を飾った天蓋付きのベッドで大好きな人とふたりきり見つめ合って…って決めてるの。
 いやゴメンそれはウソだけど、あっ、地球の平和を守る会議の時間だから失敬するよ。では股ッ!
 やめろ股間を押し付けるんじゃあないッ

 もう絶体絶命だ。ここで私の消息は絶たれ日本の地を踏むことはないだろう。サヨナラミナサン。自販機の牛乳ボタンをセロテープで固定し「牛乳だけ販売機」にしたのは私ですゴメンなさい。酔ったクラスメイトの髪型をサモハンキンポーにしたのも私です…!

 懺悔が通じたようだ。2mほどもありそうなでっかいオバチャンが現れ、彼らの首根っこを捕まえて子猫のように連れて行った。

 みんな、覚えておいてくれ、ロシアでは困ったら懺悔だ。いやちがった単独行動は慎もう。どんなブスでもだ。私が言うんだから間違いない。



ウィアーザゥオーッ

シベリア鉄道日記 第3回

2/25(月)

 シベリア鉄道の旅、4日目は、バイカル湖を通過する。

 バイカル湖はユーラシア大陸の中央部に位置し、南北680km、最大幅80kmに及ぶ淡水湖。生態系も独自のものが多いそうだ(調査が開始されたのは1980年年代に入ってから。つまり未だ全貌は不明)。1996年には世界遺産に認定された。

 鉄道は南側を迂回して通過。何日も車窓から見え続ける広大な湖だ。

 面倒見の良い車掌が「ホントはダメなんだけどね」と手招き。何をするかと思えばおもむろに車両のドアを開け放った!
 バイカル湖から吹く冷たい風が一気に流れ込んでくる。

「ボクが支えていてあげるから思う存分、写真を撮りたまえ」

 そこまで撮影に熱意もない私だが、ここまでしていただけるなら話は別だ。
 車掌にカラダを預け必要以上に身を乗り出し、シャッターボタンをチカラの限り連打。高橋名人も真っ青だったろう。

 美しいバイカル湖の湖面で太陽が躍るのを見ながら、これまでに会ったロシア人の誰もが母国を自慢することに考えを巡らせる。
 国の大きさや自然の壮大さ、太陽の大きさまで、お国自慢だ。「国を愛する」という未知の感情が心に湧いてくる。

 日本自慢の衝動に突き動かされた私は、酒のつまみ(サバ缶)をひっつかみ、酔っぱらいの巣窟「ユーリー屋敷」に参戦。プロジェクトXばりに日本紹介の演説をした。
 即席のロシア語、通じるだろうか…!?

 ユーリが満面の笑みで親指をグッと立てる。

「ハラショー!!」

 酔っ払いに言語は必要なかった。ココロのレディオステーションからまたしてもウィーアーザワールドが流れた。

シベリア鉄道 バイカル湖

シベリア鉄道 バイカル湖

シベリア鉄道 バイカル湖

シベリア鉄道 バイカル湖

 地図が機密文書扱いだった旧ソ連時代の名残だろうか。ロシアで地図を買うのは難しい。
 キオスクで「地図をくれ」と言っても、テレホンカードなどを差し出される。ロシア語では地図もカードもKapta(カルタ)なのだ。
 さらには一般人が地図を買うという文化がないようだ。(今はどうかな?)

 駅に着くたびに地図を買えないかと言う私に、車掌さんは、なぜ地図など欲しがるのかと不思議そうに言いながら、車掌室で「業務用」の地図を見せてくれた。
シベリア鉄道 車掌室
 広大な大地をひとさし指でたどる。

列車はここをこう通って…
ぼくのうちはここだよ。
ここが黒海。奥さんといつも旅行に行く。
ここは軍にいたときに駐在していた。
ここは今戦争をやっているところで、アフガニスタンから人を逃がすために列車で行ったよ…

 すべての話が現実離れしている。映画のようだ。
 車掌さんと話していると、日常生活をとても大切にしている印象を受けるのは、日本人の私とは、見てきた現実が違うからだろうか。

 そして車掌さんの身の上話を聞く。

 車掌の職に就く以前は、長距離トラックのドライバーを10年していたそうだ。給料は良かったのだが、奥さんを亡くし、子供のそばにいるためにドライバーはやめ、車掌の職につき12年目。
 その息子さんはと言うと、今は徴兵によって軍務についている。

 ロシアには徴兵制度があり、18-20歳は兵役に就くことが義務付けられているそうだ。
 Wikipediaによると、18-27歳のうち1年間とある。民間施設で3年半、又は軍事施設で3年間の代替奉仕を選択することができ、なおかつ大卒の場合はその期間は半分で済むらしい。  

 もうすぐそれも終了するから、戻ってきたらボクと同じドライバーをやるんだよと教えてくれた。

 じつは新婚で、再婚相手は25歳年下の、同じ車掌。
 日本ではめずらしい女性の車掌だが、ロシアでは女性のほうが多い職種だ。

 若くて美しい妻(24才)を見る彼の目には、いつも情熱的な恋の炎がきらめいていた…かどうかは忘れたけど、目をそらしたくなるほどラブラブ。いちゃいちゃし放題。
 彼らが放出するハートマークで狭いコンパートメントは酸欠寸前だった。

 この列車で唯一、英語が通じたのがこの車掌さん。お世話になりました。
 ディープパープルなどハードロックが大好きで、自宅には300枚のCDコレクション。若い頃はベースをやっていたよ〜と穏やかな表情で語る。
 しかし家電の話になると彼は豹変した。
 日本までの距離や金額、一般人の給与水準に加え、車や電化製品の値段を詳しく尋ねられる。とくにデジカメはロシアには(当時)売ってないらしく、それだけ給料をもらっておいてなぜ買わないッと問い詰められる。まさかの家電オタクモードだ。
 おだやかな車掌さんはもういない。 表情は鬼神の如し、背中に燃える怒り炎の中から異形の者が睨みつける…ッ
シベリア鉄道 車掌室
ししししかしフリーの映像ディレクターの私、月々のギャラは大波小波っす!
家賃も払えず後輩の家に居候中っす!
日本の家賃事情も察して欲しいっす!
でもとりあえずすいませんでした!

 国際的に謝罪を強いられた。どの国でもオタクの地雷には注意が必要だ。プロレス談義で「馬場がさ〜」と言った瞬間に「馬場じゃないだろ"馬場さん"だろうが!」と泣くまで恫喝された知人を思い出した。
 ちなみに私のカメラは1980円で買える代物だ。誰も見向きもしない。盗まれる気配もない。貧乏は身を助くというやつだな。ふふ。

【次週予告】

次回は、
列車での食事事情をお伝えします☆

シベリア鉄道 バイカル湖

★ルチャ部活動日誌★

ルチャリョーシカの新作は、みんな大好きMaximoだょ☆
ルチャリョーシカ Maximo

突撃して本人にプレゼントできました〜☆

ルチャリョーシカとMaximoとわたし
やったあ!ルチャリョーシカとマキシモとわたし。モヒカンおそろい☆

ハートの強い私は、みんなが作ったルチャリョーシカの写真も見てもらったよ!「Muy bonito」だって!「カワイイね」ってことだよね?
ちなみに、部員No.1さとこちゃんが作った「ブラソス」のご子息だよ〜

私のゆっくりした、しかも最終的に伝わらないスペイン語を、忍耐強く聞いてくれたマキシモちゃん…ありがとう!
そしてその伝わらないスペイン語を伝えてくれたのは、私の「ルチャの先生」。ありがとうございましたあー(ぜひルチャ部の名誉顧問に)!

感謝の気持ちでいっぱい。なんでルチャ好きか分かった気がしたよ。
眠るのがもったいない多幸感の中、ルチャの好きなところをひとつずつ数えて、いつの間にか眠りにおちたルチャ部部長でございました。

シベリア鉄道日記 第4回

 移動距離が長いため、ロシアの地域それぞれの食事を楽しめるのも、楽しみのひとつではないだろうか。

 駅によって停車時間は違い、長い場合は30分ほど停車する。
 まずは停車時間が長かったベラゴルスク駅で食料調達を試みる。
 駅にはキオスク(売店)がある。このキオスクが、まるでパチンコの換金所のような佇まい。商品を手に取ることはできず、ショウウインドウにびっしりと並べられた商品を口頭で伝え、小さな窓口から受け取るのだ。ドキドキだ。
 慣れたふりで堂々と小窓に近づき、薄暗がりの中の巨体に大音声で呼びかける。
 たのもぅ〜

「ヴォダー!パジャールスタ!(水をください)」

 ふふふ、私のロシア語が通じると思ったら大間違いだ。
 喉がかわいてるの!み!ず!水がほしいの!
 またしても押し問答の末、ようやく水のペットボトル(2L)を15ルーブリ(p)で手に入れた。当時1p=4.4円だから約65円。
 キャップを開けるとプシーーッとコーラの音が。ああ〜そうだった、ロシアでのスタンダードは炭酸入り(ス・ガス)だ。炭酸なしの普通の水は「ニエガス」と言わねばならない。

 炭酸入りの水、オシャレじゃないの。思いもよらずロシアでデビューだ。
 辛い。

 駅ではキオスクに加え、老若男女の売り子たちがホームを訪れ、菓子パンやピロシキ(どれも5pほど)、出来立てのお惣菜(10p程度)を売り歩いている。

 はじめの2、3日、モンゴルを通過するあたりでは、ペリメニという水餃子をよく見かけた。1人前は5個ぐらいで10pほど。ビニール袋に入れて渡してくれる。具は肉のほか、キャベツやきのこ。じゃがいも入りもあった。

 バイカル湖の近く(ウランウデ、イルクーツクなど)に差し掛かると、魚や魚卵の瓶詰め(時価。値切上等)が出回る。
 この魚がすごくおいしい。バイカル湖で捕れるオームリという淡水魚で、燻製にしたものをホカホカの状態で売っている。一口食べ、あまりの美味しさに、一匹しか買っていないことを激しく悔やんだ。

松の実
 巨大な松ぼっくり(4p)、中の松の実をほじくって食べる。香ばしくておいしい。

 背後に引っ掛けてあるのはサラミ(50p)。ベッドの枕元にあると、どことなく卑猥だな。

 モスクワが近づくとどことなく食事も都会風。ハンバーグやチキンソテー、ソーセージにジャガイモが付けあわせてあるなど、ちょっとしたデリ弁当風に。

 ごはん系はどれもおいしく、まずハズレなし。

 しかしスイーツ購入の際には注意が必要だ。おいしいやつらの中に、食文化の違いを主張する活動家が潜んでいる。

 オトナもコドモもみんなアイスが好きらしく、よく売っていた。コーンに丸く盛ったものがひとつ5pぐらい。
 ちなみにここではアイス専用のケースは必要ない。気温はマイナス20℃だ。
 懐かしい味がするバニラ系、爽やかヨーグルト系など、どれもおいしいのだが、ごくまれにアイスそっくりに擬態したマシュマロがいた。
 「甘くて冷たい」を期待する口内に、「常温のモフモフ」は、もう暴力だ。もし私が警察なら公務執行妨害でタイホするところだ…警察じゃなくて命拾いしたな!

 とある駅では、ピンクやグリーンなどカラフルなデコレーションのケーキ(4p)があったので購入。
 しかしこいつはケーキに見せかけた未知の物体Xだった。
 水分が全くない。口の中が一瞬でゴビ砂漠だ。タクラマカン砂漠でもいい。むろんアリゾナ砂漠でもかまわない。くっ…お前、地球の水分を奪っていったいどうするつもりだ。なにを企んでいる!?は、はやく宇宙刑事に連絡しなければ…いや、もうだめだ…舌が乾いて言葉を発することも…!

 今となっては食べ物であったのかどうかも定かではない。
 ロシアを訪れる方は、スイートな危険分子に気をつけてくれ。

 もちろん長距離列車の醍醐味、食堂車もある。
 列車の揺れの中、ナイフとフォークを使っての食事は最初こそ戸惑うもののすぐ慣れる。
 ボルシチとパンとコーヒー、あとコニャックを飲んで、ひとり100pぐらい。
 ほかにもポークカツにポテトや豆、ビーツなどの付け合せがついたプレートや 、ハンバーグとパスタなどボリュームのあるプレートなど、定食スタイルが多かった。 いずれもセットで100〜150pの模様。

 この食堂車のオヤジさんは車内販売も兼ねていて、日本の新幹線のようにカートにおつまみやオヤツを満載し、各部屋を回る。

シベリア鉄道 食事風景

 こうして思い思いの食べ物を調達し、思い思いに食べる。
 車内にはサモワールという湯沸かし器があり、お湯は使い放題。カップ麺も食べられるし、ティーバッグがあればお茶も飲める。

 地域によって変わるのは食事だけでなく、乗客もだ。
 最初はモンゴル地区を通ることもあり、アジア人も多く見かける。水野晴郎を見かけたような気がして、振り返ること数回。
 ウラル山脈を越えるあたりからは、アルメニア人だろうか、金髪モデル体型の美女を見かけるようになる(それまでは骨太のヘビー級が多い)。

シベリア鉄道 西田敏行

←西田敏行似の親切なおじさんと。「あいつらは軍人だし酔っ払いだから気をつけろ」と言いにきたり、「これを食え、これも食え」といろいろ持ってきてくれた。

 このような親切に頼り切りで旅を乗り切った若きわたくしでございます。

シベリア鉄道 風景
駅かな?

シベリア鉄道 風景
風景は相変わらず、ずっとこれ。

 走行距離が伸びるにつれて、窓も汚れてくる。もう外が見えないぐらい。

シベリア鉄道 風景

 さて、おいしいものを食べながら平和に旅を続けているかというと、そうでもない。

 ある夜、食堂車から戻り、ドアを開けると違和感。
 寒い。超寒い。
 分厚いガラスで密閉され、暑いほど暖房がガンガン効いているはずの室内に、マイナス20℃の風が吹き込んでいる。
 オカシイ、窓は開かない仕組みになっているハズだが…
 あっ窓がないよ!
 床にキラキラしているものはガラスの破片だよ!
 そして私のベッドの真ん中に居るのはでっかい岩石だよ!

 車掌さんいわく、ストリートチルドレンのイタズラ。夜の電車は窓が白くて面白いから石を投げて遊ぶらしい。

 社会情勢の違いを思い知る。
 それに、もし部屋にいるときだったらと思うと…震えているのは…寒さのせいだろ…怖いんじゃないぜ!



 等間隔の十字架のような鉄柱が延々と通り過ぎる車窓を眺め、感受性はフル稼働。
 安穏と生きてきた己を問うべく、この夜はココロの太宰がてんてこまいだった。

【次週予告】

10年前のロシア旅行をいまさら書き起こす
『シベリア鉄道日記』も
残すところあと2回。

次回は、
ついにモスクワに到着☆

モスクワ
ここにプーチンさんが…ッ

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2012年7月30日の月曜日を
お知らせします

 メキシコCMLLからルーシュならびにボラドールJr.来日につき、ルチャ部出動☆

 ルーシュは荒々しくて良かった!  4vs4なのにイイトコ見せてくなんて、若者なのに図太いな。G1での再来日が楽しみ。

 ボラドールJr.は、2010年ミスティコとの抗争で台頭し、その後ルードに転向。実質CMLLトップなのではないでしょうか。
 ラ・ケブラーダなど跳躍の美しさは圧巻。
 FANTASTICAMANIA2012で来日した際には、NWA世界ヒストリック・ウェルター級王座をかけてラ・ソンブラと対戦。敗れはしたものの、疲れを知らない跳躍合戦に観客は熱狂。初来日とは思えない盛り上がりを見せた。

 アメコミファンであり、コスチュームへのこだわりも人一倍。最近はアベンジャーズにちなみ、アイアンマンやキャプテンアメリカバージョンのマスク&コスチュームで試合に出場している。
 今回のプリンス・デヴィット戦ではまさかの敗北。今後の展開が気になるところだ。

VoladorJr.
 嬉々として2ショットに挑むも、ボラドールがかっこよすぎて私のブスが際立つ悲劇。
 もう2度と、イケメンとは写真とらない。

シベリア鉄道日記 第5回

モスクワだ。真ん中が赤の広場。クレムリン。 モスクワ地図

 川沿いの三角形の敷地に、レーニンの墓、大統領官邸を含む複数の建造物がある。当然の世界遺産。
中でも武器庫という名の美術館は見応えアリ。歴代皇帝の所有したものすごく豪華な衣装、馬車や武具などの宝物が展示されている。
 一部屋だけ、尋常でなく警備が厳しい部屋があった。これではどんなルパンも入れない。何かと思えばダイヤモンドがざくざく展示してあった。国難の際には炸裂することだろう。
クレムリン 入場券  モスクワに来て急に物価が上がる。
 赤の広場の向かいにあるグム百貨店にはクリスチャン・ディオールなどの高級ブランドがならび、当然私が手を出せる値段ではない。
 モデル体型の美女が凍結した道路をものともせず、ハイヒールのブーツで颯爽と歩いて行く。私はというと、実のところずっと同じ服を着ている。風呂も入っていない。一度、震えながらトイレで髪を洗っただけだ。
 マクドナルドは日本と同じぐらいの値段。それまでパンを20円ぐらいで買って暮らしていた身からすると、ハンバーガーが500円…気分は破産寸前だ。

モスクワ ホテル
モスクワは大都会だ。ナメられちゃいけねえ。怖い顔の練習だ。

モスクワ ホテル
はっはっは。むりだ。

 張り巡らされた地下鉄網でどこへでも行ける。年間の輸送人員は世界第2位。ちなみに1位は東京だ。
 自動改札にカードか切符を入れて乗る。まかせろ。
 しかし切符を買って乗ろうとするも、自動改札にカードが入らない。なんでっなんでっとトライし続ける私に向かって、制服姿の屈強な女性(ハンセン似)が駆け寄ってくる。
 まるでブレーキの壊れたダンプカー。
 もうだめだ。2度と日本の地を踏むことはないだろう。サヨナラミナサン。

「アンタそれはテレフォンカードよ!"メトロ"っていうのを使うのよ!」

Oh…テレフォンショッキング。

モスクワ地下鉄切符 テレフォンカード
上が地下鉄の切符。下がテレフォンカード。

 ドアの閉まる速度には注意だ。
日本のようにゆっくり閉じていき最終的にさらにスピードをゆるめそっと閉じる。
の真逆。
 親のカタキかというほどの力強さでバンッと閉じる。閉じた時の反動でふたたび開くほどだ。
 ケン・シムラなら面白いことになるだろうが、一般人なら離れていたほうが無難。

モスクワ 動物園
だるそうなオオカミ。

モスクワ 動物園
強そうな猫。

モスクワ 曇天
天気はこんな調子。雪がじゃんじゃん降っていた。

モスクワ ホテルの窓から
ホテルの窓からの風景

【次週予告】

10年前のロシア旅行をいまさら書き起こす
『シベリア鉄道日記』
次週で最終回。

ここから私の人生は始まった

とか、感動的なフィナーレにしたいけど。

ははは!

モスクワ

Theピーズ 25周年野音

 Theピーズをご存知だろうか。
 1987年結成のスリーピースバンド。ベースボーカルと作詞作曲はハルさん、ギターは1枚のアルバムを除いてアビさん、ドラマーは多くの交代を経て、現在はピロウズのドラマー、シンちゃんで定着している。

 その25周年を記念するライブが、6月23日、日比谷野外大音楽堂で行われた。

 ピーズの歴史は、ボーカルであるハルさんの自己嫌悪の歴史でもある。
Theピーズ グレイテスト・ヒッツVol.1  Theピーズ グレイテスト・ヒッツVol.1  Theピーズ マスカキザル
Theピーズ クズんなってGO  Theピーズ とどめをハデにくれ  Theピーズ どこへも帰らない
 アルバムタイトルを上げていくと『グレイテスト・ヒッツ』Vol.1、2、『マスカキザル』『クズんなってGO』『とどめをハデにくれ』『どこへも帰らない』と、少しずつ自己嫌悪のプロへの階段を昇る。
 ヤル気を出せば出すほど自己嫌悪になる負のループの中、『リハビリ中断』リリース後、活動休止。

 その時の、同じく自己嫌悪癖に悩む多感なファンたちの落胆ときたら、タワーレコードで復活を願う署名をするほどであった。
 激しい自己嫌悪も、ハルさんの歌声で、ゆるやかな自己憐憫に変えることができた…。ハルさんなしでこれからどうすれば…!?

 しかし今思えば、Theピーズ活動休止期間はファンにとっても必要だったのではないか。
 ハルさんの音楽にすがりつくように、自己嫌悪の発作をただ対処療法でおさめていた私のようなファンたちは、急に新たな生き方の模索を強いられた。そして仕方なく腰を上げた。
 後のモーニング娘である。
 もちろんうそだ。

Theピーズ

 さて、約5年の活動休止を経て発表された待望のアルバム『Theピーズ』。「生きのばし」という収録曲はこう始まる。

「死にたい奴はまだ目覚ましかけて明日まで生きている」

 終わらせたい心の奥に密かにきらめく明日への希望を、ここまで言い表した言葉があるだろうか。

 なぜ自己嫌悪するのか。それは、なりたい人間像があるから。
 そこまでの距離に気が遠くなり、それを成し遂げる大変さと、どうせやらない自分の怠惰も知っているから。自己実現への理想が高いため自己嫌悪に陥るのだ。

 友情に厚く、異性にモテ、目標のためには努力をいとわず、才能に恵まれている。そんな人間になりたかったのかもしれない。

 しかし実際、そんなテリーマンがどこに存在するのか。しない。
 いないけど、万が一いたとしても、ならないさ!
 この心境に至るに時間はかかったがともかく、98年から2002年の間、Theピーズを絶たれた時代に、ファンは自力で立つことを覚えた。生ぬるい自己憐憫の海から、陸に上がったのだ。

 いわゆる健全な人間になったわけでは、もちろんない。単に、怠惰な自分の「しょうがなさ」を認め、付き合っていくと腹をくくっただけである。
 己の自己嫌悪に付き合う覚悟が、今の我々にはあるのだ。これを自己嫌悪初段と呼ぶ。名誉六段めざしてがんばります。

Theピーズ アンチグライダー  Theピーズ 赤羽39
 その後続いた2枚のアルバムでは、自己嫌悪の波をフワフワと乗り切るハルさんのサーファーぶりが見事だ。さすが我らがハルさん。変わらないが、明らかに変わった。一生ついていきます。

 Theピーズ25周年野音は、そんな中年が幸せそうな顔で延々とビールを飲み、パンパンの膀胱を抱えて踊っていた。

当日の空気感を伝えるレポートがコチラ

 それにしてもビールをこんなに飲むつもりではなかった。ダイエットが台無しだ。
 おっと来たな、かかってこいみずみずしい自己嫌悪の波よ。やめろやめろダイエットなんて。太っていようがやせていようが、私が凄まじくかわいくなるわけないだろ。ぷぷ。

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シベリア鉄道日記 最終回

 バイキングでひとしきり食べ物を物色し、山盛りの皿を持ち、異国のおじさんが一人煙草を吸っているところに、相席を申し入れた。
 彼は快く受け入れてくれた。
 煙草を吸ってても良いかという問いに、もちろんと答え、中国人か日本人かとの問いに日本人と答え、ロシア語か英語かとの問いに英語だと答え、会話が始まった。

 彼はその年、53歳になったロンドンっ子で、32年前から貿易の仕事でロシアを何度も訪れているという。
 そして彼は、目をキラキラさせながら言った。
「昨日、結婚したんだ」

 ここから彼のオンステージが幕を開けた。そのカリスマは大仁田厚も沈黙するほどだった。

 日本なら美しい場所を知っているよ、京都の石庭だ。
 ボクは以前、京都の石庭とエジプトのピラミッド、アステカの遺跡、この三つの場所に何日かずつ滞在して、同じものを感じたんだ。
 それは「自我の滅却」。そして「宇宙の大きな流れを感じる」ということ。
 禅の思想ってあるよね。まさにそれ。「感じる」ということの大切さを、そのときボクは知ったんだよ。

 一人の素敵な若い女性がいてね、彼女といるとき、ボクは空気中に愛が溢れているのを感じた。そしてあるコトバが、自然にボクの口から出てくるのを聞いたんだ。
「結婚してもらえますか?」

(聞こえるか?私の中の5万の観衆が沸いた!)

 キミが何かを言おうとしてくれてるのは分かるよ。コトバの壁はあるけど、それでもキミが何かを感じてるのは、十分伝わっているからね。
 この世で大切な物は愛だね。そして、聖書にもあるけど「許すこと」も大切だ。
 キミもこれから先、結婚し、子供を持つだろうけど、彼らを愛し、愛を感じ続けるんだよ。
 そしてもうひとつ大切なことは「エゴを大切にすること」だ。
 自分のために生き、自分をまず幸せにすること。そうしなければひとを幸せにはできないからね。
 そして愛を分けあい、楽しみを分かち合い、悲しみを分かち合ってくれ、君の大切な人と。

(5万の観衆は大喝采だ。アンコール!アンコール!)

-*--*--*--*-

そしてトークの主題は私の出身地、広島のことに移る。

-*--*--*--*-

 原爆のことは聞いて知っているよ。
 (この年の前年に起こった)9.11のアメリカのテロ事件で、亡くなった人たちについて心から同情するし、アメリカ国民全員が怒る気持ちも理解するよ。いや、分からなくもない、というのが正直なところなんだ。
 だって歴史をさかのぼってみると、アメリカは日本に原爆を落としたじゃないか。
 テロにより、国民がたくさん亡くなり、たくさんの子供達が泣いた。それに対しては心が痛いよ。でも過去にアメリカは同じ事を、いや、もっと酷いことをしたじゃないか。
 そのとき、広島、長崎にいた人々の、命のみならず、生活、愛、思想などすべてを一瞬で「無し」にしたじゃないか。

(固唾を飲んで見守る5万の観衆)

 そして言った。

 ここに、そう思っているヤツがいるのを忘れないでくれ。
 過去を忘れて己の被害を強調するアメリカを、間違っていると断言する人間がいることを。
 アメリカは大きな罪を犯し、それを勝手に忘れている。しかし、ボクは忘れていない。それを覚えていて欲しい。
 広島の家族や知人にそれを伝えてくれ。

 外国人が原爆について見解を述べるのを聞いたのは、これが初めてだった。
 外国人が、いち地方都市である私の故郷を知っていることが驚きだった。

 祖母の被爆体験を聞いてオネショして以来、アメリカを断罪し続けてきた(オネショの恨みはおそろしいのだ)私に彼は言う。

 許せと。

 許すことによって、キミのおばあちゃんの、そしてキミの心の傷が癒されると思うよ。
 過去でもなく、未来でもなく、今ここ(today, now, here)を自然に生きることができるよ、と。

5万の観衆が声を揃えたのが聞こえたよ。

ゆ る し ま す !!!


 彼はしばし目頭を押さえたのち、自分の名前を告げ、ZENトークを締めた。

 オッケーサンキューベイベー。
 もう会えないとしても、今ここで会った事実はずっとなくならない。離れていても、お互いにきっと、ずっと心の中にいるよ。

 そして煙草を消し、去った。

 それ以来、彼(エージェント・スミス似)は、ツール・ド・フランスに必ず現れる悪魔おじさんのように、毎年、原爆の日に脳裏に現れる。
 彼が「ヒロシマ」を覚えてくれていると思うと、安心して日常に没頭できるよ。


 めでたしめでたしだと思ったかい?そうはいくか。家に帰るまでが遠足だ。

 モスクワからウラジオストクに飛び、乗り換えて新潟だ。ヤル気でパンパンなんだ。一刻も早く帰国したい。

 しかしなぜだ。空港へのピックアップを頼んでおいたのだが、待てど暮らせどやってこない。
 現地の旅行会社に電話をかけるのだが誰も出ない。何度かかけてやっと出た人物は「ノーノーワタシ、エイゴワカリマセ〜ン」とだけ言って、ガチャリと受話器を置いた。

 くっ…しょうがねえホテルのフロントは英語が通じるから、タクシーを頼もう。カネならある!
 しかしプロブレム発生。チケットに「シェレメチェボ空港」とあるのだが、シェレメチェボには1と2があるのだ。そのどちらかがチケットには記載されていないのだ。
 もう一度電話するしかない。

 今度は幸いなことに、英語がわかる「責任者」に替わってくれた。
「3月2日に、空港までの送迎をお願いしてたハズですが」
「ええ、確かに3/2に承っております」

 …また押し問答の予感だ。

 しかし案ずるな。かつて惨敗を続けたわびさび英語はツンドラの大地に置いてきた。
 今の私が使うのは、退かぬ!媚びぬ!省みぬ!のサウザー英語だ。

「お主にもう一度問う。3/2に空港までの送迎を頼んでおいたハズだが」
「ええ、もう一度言いますが、3/2に、お送りします」
「3/2で間違いないな?」
「3/2です」
「ならば3/2とは…いったいいつなのだ。3/2が今日かもしれない可能性について、なぜ己を省みぬ!?」
「いやしかしオコトバですが3/2は…あ、今日ですね!?」

 まじゴメンでももう間に合わないから自力で行ってちょ〜じゃあね〜バ〜イ!
 おいまだ電話を切るんじゃない!シェレメチェボの1と2どっちだ!
 1!

 その後、タクシー運転手がパトカーも追い抜く無双なドライビングテクを見せ、間に合った。
 だけど席が予約されてなかったから、もう一度、サウザー降臨。クワッ


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