毎週月曜新聞 悪のロゴ

繊細すぎるオタクマイハート

 このところ「妙齢の女性」風あるいは「子持ちに見えないシングルマザー」風に暮らしている私だが、中身はただのオタクであることは、ご存知の方も多いだろう。

 凝り性で一度ハマるとしつこく、どこまでも深く突き詰めがち。潜水調査船しんかい6500を擬人化したらそれが私だ。

 思いのほか長生きしたせいか、オタクの幅も拡がり、プロレス、バイク、洋楽、財テク、アメコミ…と、もうさまよえるユダヤ人のような足取りだ。

 中でも酷いのはSFとファンタジー。酷いと言うのは、自分の好みがはっきりしており他と意見が対立しがちな点。そして、そもそも語り合う相手が少ないため意見の推敲ができておらず、降りたての雪のように「好き」が無垢な点だ。

 この「好き」について思う存分、誰かと語り合いたいという思いでいつも満タンになっており、そのくせココロの無菌室で育てたため衝撃に弱い。
 恋に恋する箱入り娘のような繊細で幼い欲求不満を常に抱え、まるで歩く地雷原。Oh!ボンバーマン。

 つい先程も、大好きな作家ニール・ゲイマンの話をできそうだったので飛びついたところ、相手はそこまで興味がなく、少年ジャンプの話題で返されたところだ。うっ、パウダースノーの雪原にジャングルの王者ターちゃんが…!

 両手を広げて抱きつきに行ったところ、鼻にいいパンチをもらった格好だ。痛い、カッコ悪い、恥ずかしいの三重苦。まさかの角度でヘレン・ケラーと肩を並べる結果となった。今はココロの冷えピタで鼻を冷やしながらこれを書いています。
「馬場がさあ〜」と言った男子を「馬場”さん”だろうが!」と泣くまで罵倒したプロレスオタクの気持ち、今なら理解できる。

 しかし、私はニール・ゲイマンをオススメするのをやめない。なぜならどこかにゲイマン王子がいるかもしれないからだ。名づけて風船にラブレター作戦。あるいは雪原が踏み固められるのもいい。時には虫干ししないとね。

 つうわけで過去のブログからも集めて、俺のリビドーを浴びろとばかりにニール・ゲイマン特集をくらっていただきたい。

Neil Gaiman Dave McKean VIOLENT CASES
ニール・ゲイマン/作
デイブ・マッキーン/画
『バイオレント・ケース』

violent cases

 マフィアはマシンガンをバイオリン…いや、バイオレントなケースに潜ませている。

 1987年にイギリスで出版されたコミックの再発本。昨年12月に日本版が出ました。今ではおなじみとなったニール・ゲイマンとデイブ・マッキーンのタッグの、記念すべき最初の作品。

 彼の暴力描写はイイ。具体的なことはあまり書かない。その代わり彼は、コワいことをしそうな人を、丁寧に描く。顔はこんな顔?鼻の形はこう?来ている服は新しい?古い?仕立てはいいがほころびている?

 人間じゃない可能性も含め、ああ、この人の行う暴力がさぞ酷いだろうと思わされる。  被暴力者も同様に描く。その後で行われる暴力は想像するだに恐ろしい。

 我々はすでに、ひどい暴力の数々を知っている。殴る、蹴る、爪を剥がす、指を1本ずつ潰す、股間を切り刻む…
 愛すべき人物が、おそろしい人物に、これから”何か”をされるだろう。その予感だけで十分にバイオレントだ。

ところで、ニール・ゲイマンって誰? という方も多いだろう。 イギリス出身の作家で、1960年10月10日生まれの53歳。活動はTV・映画の脚本、コミックの原作、小説と実に多彩。

『サンドマン』(1-5巻)

デス - ハイ・コスト・オブ・リビング アメコミ原作を手がけた作品として有名なのは、人間の夢を司る"夢の王"ドリームを描いた『サンドマン』。邦訳は1〜5巻が刊行されている。スピンオフとして『サンドマン 夢の狩人−ドリームハンター』(画:天野喜孝。コミックではなく絵本形式)、サンドマンの姉である"死(Death)"の物語『デス - ハイ・コスト・オブ・リビング』など。

サンドマン1 プレリュード&ノクターン・上 サンドマン2 プレリュード&ノクターン・下 サンドマン3 ドールハウス・上
サンドマン4 ドールハウス・下 サンドマン5 ドリームカントリー サンドマン 夢の狩人−ドリームハンター

コミック原作の最新作は…

『バットマン ザ・ラスト・エピソード』

バットマン ザ・ラスト・エピソード  覆面、それはロマン。神から授かった私の能力、つまり妄想力が存分に発揮される。この世で一番のイケメンを中にいれることが可能だ。
 バットマンの中には、私もまだ見たことのないようなイケメンが隠されているに違いない…可能性は無限大!

 しかしゲイマン、私のエタニティ・アイドル、バットマンを手にかけてしまったよ…。

 ゴッサムシティのクライムアレイ(犯罪通り)。今日は、あのバットマンの葬儀の日だ。
 葬儀に参列するのは執事のアルフレッド、ロビン、ゴッサム市警ジム・ゴードンなどの仲間たちのみならず、ジョーカー、ペンギン、リドラー、キャットウーマン…過去に対決した奴らも勢揃い。他にも背景のそこかしこにミスター・フリーズとかいろんなキャラが来てるので、アメコミおたくならニヤニヤ探せばいいじゃない。
 参列者であるかつての敵の語る意外なバットマンへの憎しみと愛。アルフレッドによるまさかの新説。そして、自らの死をどう捉えるか戸惑うバットマン自身による「バットマン観」…。
 バットマンとは何者だったのかを、葬儀を通じてじっくり描き出す。

 ヒーローを殺せる手練など、そうはいない。この作品でゲイマンは、スーパーマンを殺したアラン・ムーアと並び、アメコミ界に燦然と輝くキラーの星となった。

 SF小説作家でもあるゲイマン。暗く艶っぽいキャラクター描写は、闇の中から削り出した彫刻のよう。頭の中で動き出すのを待って、観察して、デッサンするように書き起こすのだろうか。類まれなるその世界が読める邦訳最新版↓

『墓場の少年 ノーボディ・オーエンズの奇妙な生活』

墓場の少年  墓場に迷い込み、幽霊たちに保護された赤ん坊。彼は一家惨殺事件の生き残りだ。
 ノーボディと名付けられた赤ちゃんは意外とすくすく成長。墓石でアルファベットを覚え、イタズラに古代の魔物と対決し、怪我をしたら「ドクター(1936年没)」の元へ…と大冒険だ。そして謎の殺し屋ジャックの魔の手が…!

 さまざまな時代に生きた、そしてとっくに死んだ幽霊たちの言動にはココロをくすぐられっ放し。
 両親となった「ミスター&ミセス・オーエンズ(おそらく19世紀没)」の古風な子育て、ダンディな後見人「サイラス(幽霊じゃないが生者でもない)」の謎の過去、墓場の良識「カイウス・ポンペイウス(紀元前没)」の天然発言。
 ちなみに私の一番のお気に入りは、歴史学者「ミス・ルペスク(神の猟犬)」です。ガオガオ。

『コララインとボタンの魔女』

コララインとボタンの魔女 主人公の少年ノーボディを見つめる"観察者"然としたその視点は、『コララインとボタンの魔女』にも通じる。
 そこにあるのは、子供への絶対的な信頼。
 ノーボディの冷静さと対応力、コララインの行動力と勇気。彼らはふたりとも幼いにもかかわらず、自分で問題を解決するチカラを持っている。子供の自然体でありながらの万能感。オトナに教えられるのは切符の買い方ぐらいだと、襟を正さざるを得ない。
 かつて子供だった頃、体中に満ち溢れていた魔法のチカラを思い出すようだ。
 またこの2冊、「勇気の大切さ」のみならず「勇気の使い方」までを教えてくれる実用書、と言っても言い過ぎではないハズ。生きるのが少し辛いと感じたら、ぜひ手にとっていただきたい。

コララインとボタンの魔女  『コラライン〜』は映画化もされている。
 『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』のヘンリー・セリック監督によるストップ・モーション・アニメ。原作のイメージを損なわず、さらに想像力の翼を羽ばたかせたキャラクター造形は、コレクター魂をコチョコチョと刺激する。
※下に観た直後の熱烈レビューあり。

 ほかにも映像化作品は多い。

 『ネバーウェア』は96年にBBCで制作されたTV番組(全6話)で、その後ノベライズ化された作品だ。

『ネバーウェア』

ネバーウェア ネバーウェア
 
 ロンドンを舞台に、2つの世界が重なりあう。
 住人も時間軸も空間も違う「上のロンドン」と「下のロンドン」。追われてきた謎の少女"ドア"を助けた普通の会社員リチャードは、そこから下のロンドンに迷い込んでしまい…。
 二人組の殺し屋、クループ氏とヴァンデマール氏の恐ろしさときたら…!
 でも残酷描写をしすぎないのがゲイマンのいいところ。頭の中では怪物が何かの手足をちょっとずつ(もちろん生きたまま)かじっているのだろうが、あえて書かないでいてくれるから、助かる。そのへんは詳細に言っていただかなくても、だいたい分かりますからけっこうです(拷問映像とかちょう苦手)! それに、拷問映像を始めとするサディズムは、作品を損なうケースも多いのではないだろうか。イメージとして強すぎ、観客がストーリーから気をそらされてしまう。

ミラーマスク 話を元に戻すと、『ネバーウェア』のオープニング映像は、多くのコミックを一緒に作ってきたデイブ・マッキーンが担当している。
 彼はサンドマンのカバーや、同じくゲイマン脚本の映画『ミラーマスク』のビジュアル&監督も手がけており、ゲイマン作品との相性は最高。
 そして音楽はまさかのブライアン・イーノ。イーノでいーの?
…ごめんこれ言うのライフワークなんだ。ちなみに『COOKIE SCENE』編集長伊藤英嗣さんのパクリだ。

スターダスト 『スターダスト』(映画化された原作)もだが、ゲイマンのファンタジーは日常生活からの距離的が近い。
 「壁一つ隔てて」とか、「ドアを開けると」とか、見える世界と重なるようにして存在する別の世界。 "ドア"という少女、"ウォール"という街など、日常的に目にする物に魔力を持たせるその手腕、おそらく魔法使いの血筋の者だ。アーシュラ・K・ル=グウィン言うところの"ギフト"を持っている。

 以前『魔法使いの弟子』を観たときは、その究極のチカラわざの「めでたしめでたし」に、ディズニーの底力を感じたが、映画はそれと張るぐらいハッピーエンド。
 「力業」とはある種の奇跡。それが起こるためには、全員がココロを一つにして望まなければならないのだ。ニコラス・ケイジが無理やり生き返っても文句は言わない。だって何千年も恋人と離れてたハゲには、みんな幸せになって欲しいよね!
 その点において、デ・ニーロはじめ愛されるキャラ作りは万全。孤独を知る人々の「孤独」の描き方は愛に溢れており、シアワセになって欲しいと思わずにはいられない。
 蛇足だが『キック・アス』や『トランスポーター2』で見事なやられっぷりを魅せるジェイソン・フレミングが、ここでも見事な死にっぷりを見せ、死にざま俳優の座を盤石のものとしている。

 さまざまな神話をモチーフとした作品も多くあり、それぞれに魅力的。

『アナンシの血脈』<上・下>

アナンシの血脈・上 アナンシの血脈・下
 "実は神の子"だけどサエないファット・チャーリー・ナンシー。ある日、生き別れた兄弟だというスパイダーが現れ、平穏だった日常が…!
 ミセス・ヒグラー、ミセス・ブスタモンティ、ミセス・ノールズ、ミセス・ダンウィディーという元気な老婆(魔女)が大活躍。
 彼が本来の才能である"ライム"を手に入れる過程を自分に置き換えれば勇気百倍。

『グッド・オーメンズ』<上・下>

グッド・オーメンズ・上 グッド・オーメンズ・下
 優しい悪魔はイカしたクルマに乗り、世俗的な天使は古本を売っている。ふたりは人間界で意外と仲良く、運命の日を待っているのであった。
 テリー・プラチェットと共著。最も娯楽に終始した作品。悪魔オタクにオススメだ。

『アメリカン・ゴッズ』<上・下>

アメリカン・ゴッズ・上 アメリカン・ゴッズ・下
 神話モチーフシリーズでいちばんおそろしく、濃厚で深淵。
 神ですらその存在は絶対ではない。なぜならば信じる者がいなければ、神の存在は意味を持たないからだ。
 失ったものを抱え、運命に翻弄され、それでも自分の人生を生きようとする主人公シャドウ。何度読んでも理不尽さにため息が出る。

『壊れやすいもの』

壊れやすいもの

 様々な色合いの短篇集。分厚くて読み応えあり。
 『アメリカン・ゴッズ』の後日談も収録してあるから必読だ。

『ベオウルフ/呪われし勇者』

ベオウルフ/呪われし勇者
 ロバート・ゼメキス監督。
 6世紀のデンマークが舞台の叙事詩を原作とした映画で、脚本を担当。
 "呪われし"人の話はたいていオモロイ。呪われるからには、その呪いに耐えうる強靭な肉体または精神が必要だからだ(小物には「マジックのフタが見つからなくなる」程度の呪いで十分)。ベオウルフ、強いぞかっちょいいぞ。

2010.3.15号


コララインを観た帰り道、まこつ画伯の周囲の風景はこうだった

熱烈に(一部で)ブーム襲来
『コララインとボタンの魔女』

 この想像力、スバラしい!
 原作では描かれないディティールがこんな風にカタチになるとは。日本人イラストレーターの上杉忠弘氏がキャラデザインを手がけたそうだが、アニメ界のアカデミー賞と言われるアニー賞、納得の受賞。
 ネズミサーカスの愛らしくエキセントリックな全貌。「もう一人のパパ」のアーティスティックで情熱的な魅力。部屋に置いてあるおもちゃのひとつひとつも素通りできない作りこみ方だ。
 コララインのために魔女が用意した楽園は、こりゃ現実よりスキになるよって説得力満タンの桃源郷だ。
 そして「元女優」の老婆たちや「ミスターB」など、近隣住民の悪趣味極まりないキャラ作りは、原作の枠にとらわれないフリーダムな輝き。原作の「もう一人のママ」はもっと静かでまがまがしくコワいが、こんくらいコワければ十分だ。
 アニメといって侮るなかれ。もうコレはアート。

 コララインへの愛ゆえに振るわれる魔女の暴力には、身のすくむ思い。人は求めるとき、暴力的になることもある。身に覚えがあるのは私だけではないはずだ…。

 さて、ダーク・ファンタジーという聞きなれないジャンルで知られる(知られない)原作者のニール・ゲイマン。作家であると同時に、『サンドマン』をはじめとするアメコミ原作者でもあり、あの“バットマンを殺した男(最終回を執筆)”としても有名。存命の作家の中でいちばんイケメン(当社調べ)。
 彼の作品では、当たり前のように超常現象が起こる。それを夢オチで片付けず、まるでノンフィクションであるかのように語るため「まったく事実は小説より奇なりとは本当だなあ!」という読後感すら生まれる。
 さて、この「当たり前のように起こる超常現象」は、ファンタジー小説を読まない方にとってはハードルが高いのではないだろうか。たとえばカンフー映画で、ファイティングポーズのままの空中横移動を目撃したとたん、ストーリーを追う気をそがれるように。

 その点をカバーしているのが、原作には出てこない少年ワイボーン。超常現象と一般常識との橋渡し的に、内気ながらもイイ仕事。これでゲイマン・ワールドやSFを知らない人でも楽しめる。間口を拡げるという意味でもこの作品、素晴らしい出来だ。

 さて、原作の方にも、映画には盛り込め切れなかったステキな世界観がたくさんある。コララインは映画ほどひねくれてなく、もっと孤独で気高く強く、ハードボイルドと呼んでいいほど。小さな彼女が、華奢な体の中から勇気と覚悟とチカラを絞り出すさまは、何度読み返しても胸にしみる。子供の幽霊たちも、この世界にかろうじてつなぎとめられている希薄な存在として描かれ、悲しいほどの不在感。映画でも使用された「大丈夫、君はまだ死んでない」というセリフも、原作を読めば、切実な重みと真心を感じるだろう。

 また、独特で情緒あふれる情景描写の言い回しも、魅力のひとつ。日常の何気ないひとコマも、彼の言葉で魔法がかかる。自分の日常に当てはめると生活するのが楽しくなるよ。ぜひ手にとってみていただきたい。

と、読み返してみると我ながら暑苦しい。私だったらそっと距離を起きたい人材だ。しかしここまで読んでくれたからには私の王子さまである可能性が高いのでぜひメールを寄越していただきたい。maigetu*hotmail.co.jp 。*は@に変換な!


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