アンダレー 2021.1.18

メキシコの”民営”救急隊のリアルを捉えたドキュメンタリー映画『ミッドナイト・ファミリー』



メキシコでは公営の救急車の台数が少なく、民営の救急隊という闇ビジネスがある。それを生業とするひとつの家族を映すのがこの映画。

チラシには「メキシコ社会の闇を掻い潜り、懸命に生きる家族のドキュメンタリー」とある。確かにそうだけど、それに加えて「友だちの家がヤバイんで撮っといた!」的な近しさと熱量を感じた。

ともすればYou Tubeでハネそうな下世話な興味でもあるけれど、そこで「ドキュメンタリー映画」という「格式」を保持しているのは監督の手腕かと。とくに「手法」と「視点の置き方」。

眼の前の現実を撮影するドキュメンタリー映画でも、物語、ストーリーラインというものはある。膨大な映像素材から何を選ぶかで、ストーリーの立ち上がり方は違う。

この映画にも、さまざまな角度から物語が立ち上がる仕組みが隠されている。その「手法」で際立っていたのが、電話での会話で主人公ホアンの人となりを伝えたこと。

ホアンは一家の長男。この一家の民営救急隊は、父親、その友人、長男で構成され、父親のダメさ加減から見て、頼れる長男がいないとビジネスとしては立ち行かない。

年上の恋人らしき親しい相手との会話には、飾らない真実がある。そういった会話を軸に、長男ホアンの人柄を伝える。

「俺って若くてかっこいいからさ」
「銃槍とか骨折のキズ口まじヤバいよ!でも医者になる人も実はそういうの好きだろ?」

明るく自己肯定感が高くイマドキの不謹慎さもあり、仕事に打ち込んでいて、弟には厳しくもやさしい。頼れるアニキだぜ!魅力的だぜ!あと運転うまい!

そのホアンが実はまだ17歳とわかったときから「え!?」の雪崩が起こる。日常に並列の出来事として登場するメキシコシティの現実は、監督の(そして私たちの)目の前の現実とはあまりに違う。

病院に受け入れられず助からなかった命。薬物中毒の若い父親が乳幼児を抱いてウロウロしている夜の街。過酷な白タクとでも言うべき民営救急隊は、警官に会えば賄賂を要求される。メキシコの現実の異質さがまざまざと明らかにされ、力強く頬を打たれる思いがする。

でも価値観を押しつけないのがこの作品の気持ちのよいところで、そこで機能しているのが「視点の置き方」。監督の代弁者として、長男ホアンの弟ホセの視点がある。

ホセはたぶん小学生で、兄に「学校行かないと救急車には乗せないからな!」と叱られながら、いつも救急車に同乗している。その中で出会う現実の不条理さ。

ビジネスをめぐり警察と小競り合いになり、パトカーに連れて行かれる兄(おい父親どうした)を案じ、なぜか救急車から出ていかない父に問いかける。

「ねえ、兄さんはどうしたの?」
「兄さんのペンダント、警察に取られちゃった?」

何度もそう聞くが、無力な大人は都合の悪いクエスチョンはスルーする。(腐敗した)行政に多くの一般人が無力なのは、日本も同じかもね。

小学生ホセの感じるメキシコ社会の不条理は、アメリカ人の監督が感じたものと同質だろう。このあたりは公式サイトにメイキングの逸話がありましたのでどうぞ。

さて、ドキュメンタリー映画では結びのシーンに何を選ぶかでメッセージが変わる。その点でも見事なエンディングだと思う。言わないでおくよ!

ちなみに! その後、この家族がどうなったのか気になるところだが、上映後にあった監督のZoomトークによると、長男フアンはその後、救急車を増車してビジネスを拡大しているそう。まったく頼れるアニキだぜ!


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