2020.11.21

”人の心を持ったルード”エウフォリアがついに本気出した!

このところエウフォリアが熱い!

エウフォリアとはメキシコ最大の団体「CMLL」で活躍する190cm120kgのルード(悪役レスラー)。悪の軍団「ロス・ゲレーロス・ラグネロス」の一員として、若いテクニコ(善玉レスラー)のマスクを剥ぐなど悪の活動に黙々と勤しんでいたが、ここに来て親分のウルティモ・ゲレーロと試合中に仲間割れ! チョップの打ち合いでは最強のはずのゲレーロ親分が明らかに押され気味! エウフォリア強い! いや知ってたけど本気出したらこんなに強いのか!

10月30日の「死者の日大会」では、あのテリブレと神々の戦いの如きシングルマッチを繰り広げ、実力を証明している。

そして11月27日にはゲレーロの持つヘビー級のベルトに挑戦するという大一番が控える。しかもメイン。職人のような働きぶりをウォッチメンしてきた者としては「ついに山が動いた!」ぐらいの衝撃だ。

しかし、恵まれた体躯にキャリア30年ながらどこか地味だったのはナゼなのか。気になってインタビュー動画を漁ったところ、恩義を大事にしてチャンスを逃してきた「いい人」な過去が見え隠れする。そもそもウルティモ・ゲレーロに対して「人としてどうなんだよ!」とキレるあたり、ルール無用の戦いの世界においてメンタル的に明らかに不利。

とはいえ、ルードなのにどこか温厚な雰囲気も魅力で、それでいて戦いはダイナミック。逆水平チョップで全てを吹き飛ばし、飛んできた小柄な相手は右手一本ではたき落とす。そんな破壊神のパワーを与えられてしまった堅気な人間の悲哀が彼には見て取れはしまいか(考えすぎ)

そんなわけで、実はテクニコ時代の方が少し長いという”人の心を持ったルード”エウフォリアの過去をちょっと掘ってみますよ。

1990年5月、10代半ばでテクニコの「ソベラノJr.」としてデビュー(現在、この名前は息子が襲名)。2005年までメキシコ北部を中心にテクニコとして活動。
2006年1月、ステップアップを目指し首都メキシコシティに”上京”。
2006年6月、ルードに転身。
2007年1月、エウフォリアに改名。

ルチャドール一家の生まれで、第1世代は父の「エル・ソベラノ」。第0世代として祖父もルチャの練習はしていたが、デビューはしていない。第2世代は兄(故人)「ソベラノ・セグンド」、本人「ソベラノJr.(現エウフォリア)」、弟「エル・イホ・デル・ソベラノ」。第3世代が息子「ソベラノJr.」。

キャリア初期からを2019年のこのインタビューで振り返っている。

最初に師事したのは父のエル・ソベラノで、「ほかにも素晴らしいマエストロたちに習った。少しの間だけどアルコン・スリアノに習えたのは幸運だった」と語る。アルコン・スリアノは「CMLLが選ぶ18人のマエストロ(師)」の一人。93年3月に亡くなっているので、90年デビューのエウフォリアが師事できたのはまさしく幸運と言える。ほかにも、父と親しかった著名ルチャドールのチューチョ・ガルシア(エル・レベルデ)(故人)が、おそらくローティーンのエウフォリアをルチャドールにしないかと持ちかけたことがあったが、厳しいルチャの道を歩ませるには幼すぎると判断した両親が辞退したという逸話もある。

「ルチャ一家だから、簡単にキャリアを積んだと多くの人は思うようだけど、実際はヘビーだった。父は会場を持っていて、俺もそこでデビューした。でもその後は第1試合にたまに出してもらえるぐらいで、それより上には絶対にブッキングしてくれなかった。『お前はまだ値しない。実力を証明したら上に行かせてやる』と」

孫(現ソベラノJr.)には甘いが息子には厳しい父だったようだ。ちなみにエル・ソベラノが所有した会場「アレナ・ロス・ソベラノス」は、現在は別のプロモーターがレンタルしている。

「ありがたいことに父への敬意を込めて名前を残してくれている。父は亡くなったが、その名前が今も生き続けているのはうれしいね」

さて、初代ソベラノJr.は親の威光をあてにせず、コマルカ・ラグネラ(メキシコ北部地域)で少しずつキャリアを積み、90年から2005年まで、実に15年をテクニコのソベラノJr.として地元で過ごしている。

その間に一度、弟との兄弟タッグで首都メキシコシティでのトライアウトに呼ばれるチャンスもあった。しかしそのまま留まればいいものを、地元のトーナメント出場のため一度、里帰りしている。それも「すごく熱心に推薦してくれた人がいて、断るのも申し訳なくて…」という、なんとも人柄を表す理由で。その結果、弟が恋人の反対に遭い、二人とも地元に残ることになってしまう。

ちなみに亡くなった兄は破天荒なタイプで、両親は「兄さんの爆発力はコントロールできなかった」「言っても聞かなかった…」などと振り返ったそうだが、エウフォリアは自身を「トランキーロなタイプ」と言い、つまり真逆。ずば抜けた強さながらナンバー2に甘んじてきたのは、半分は優しさでできているせいだろうか。

2006年1月、再び単独でメキシコシティに上京。既に30歳を越えていた。この時に連絡を取ったのが、既にCMLLで基盤を築いていたウルティモ・ゲレーロだ。

実はこの二人、デビュー年が同じ”同期”。地元も近く、若手時代は練習や試合でよく一緒になっており、シングルで対戦したことも3度ある。「うち2回はゴメスパラシオにある『アレナ・オリンピコ・ラグナ』という大会場で、すごく盛り上がるいい試合になった」と振り返っている。

そんな過去を共有する相手だ。知人が一人もいない都会にやって来たら連絡して当然だ。知らない仲じゃない。しかし電話に出たゲレーロは「がんばって〜」と電話を切ったという。

都会って厳しぃー!

と思ったかどうかは知らないが、やるしかない。アレナ・メヒコのルチャ教室の「すごく下の方から始めた」と、新人に混ざって地道にキャリアの仕切り直しを始めた。またゲレーロもそこまで非情ではなく、しばらくして「明日の午前中、アレナ・コリセオのサタニコ(指導も行う著名ルード)のクラスに行きなよ」と(急な)連絡をよこしている。

そこからは、アレナ・コリセオで練習した後、アレナ・メヒコの練習にも参加するという練習漬けの日々。そして半年が経った2006年6月。

「アレナ・コリセオで再デビューした。名前はまだソベラノJr.だが、ルードとして出場した」

15年もテクニコだったのに、ここに来てルードに転身! というのも、ムーンサルトプレスの練習を見ていたサタニコが一言。

「お前、テクニコっぽくねえな」

え、今さら? しかしそんな鶴の一声で15年のキャリアを潔く手放したエウフォリアは、テクニコ時代を「消化不良」と片付ける。

「テクニコとしての道はバッド・ロードだった。興行主に挨拶に行ってもテクニコだとあまり使ってもらえず、試合に出られてもすごくハードな扱いだった。少しずつ努力を重ねたけれど、初めて自分がポスターに載った時にはもう34歳になっていた。そんなキャリアを変える機会があってよかった。ルードとしてのキャリアは気に入っているし、今となってはテクニコに戻るなんて考えられないな」

とはいえテクニコからルードへの転身は戸惑いの連続。

「それまではいかに歓声を浴びるかを考えてたのに、ルードはブーイングを浴びなきゃいけない。無作法に振る舞ったり下品な言葉を発したり…でも最初は『悪いことってどうやるの?』『俺、できるの?』って感じだったよ(笑)」

メヒコの巨人は育ちがいいのかもしれない。悪者らしさがようやく板についてきた半年後の2007年1月、師匠サタニコに呼び出され、再び転機が訪れる。

「お前は俺らのチームにはいらない。その代わり、新しいルードをタッグで売り出すプロジェクトがある。お前にはピッタリだと思うよ。名前と場所を変えて頑張れ!」

そんなダメ出しのような激励のような師の言葉に従い、パートナーとなる選手と一緒に会社のオフィスに出向いたところ、当時の社長セニョール・アロンソ(故人)が待っていた。テーブルには、2つの名前が書かれた2枚の紙。

「さあ、どっちがどっちになる?」

その2つの名前は「エウフォリア」と「ノスフェラトゥ」。アロンソ社長は「そうだな、君がこっち、君はこっちだな」とその紙を渡し、ここでようやくエウフォリアが誕生したというわけだ。

長い。エウフォリアのキャリア、長い上にこんがらがっている。しかしここから先もこんがらがっている。

かくしてノスフェラトゥとの悪者タッグで集中して活動…かと思いきや、そうは行かない。首都メキシコシティから西部・北部とサーキットする中で、各地で運営方針は違うし、中央オフィスの思惑が及ばない地区もある。エウフォリアはノスフェラトゥとのタッグだけでなく、サタニコ率いる「インフェルナレス」のメンバーとしても活動することになる。さらにヴィールスから声がかかり、彼のチーム「カンセルベロス」に勧誘される。

「すごくありがたいんですが、サタニコ先生に相談しないと」
「いや、こっちで話しておくから。オフィスにも報告しなくていいよ」

明らかに話していないパターンだが、エウフォリアはさらに「カンセルベロス」としても活動することになる。控えめな性格からどれも断りきれなかったのかもしれないが、それにしても、ルードに転向してからは才能が開花し、誰もが欲しがる人材となっていったことは間違いない。3つのチームに所属し黙々とテクニコたちのマスクを剥ぐ中で、デビューしたてのラ・ソンブラの対戦相手をこれまた黙々と務めたりもしている。悪の仕事人、エウフォリアの誕生である。

そして時を経て2012年、さらに新たなグループからの勧誘があった。

「ある日、ウルティモ・ゲレーロに言われた。『俺がリーダーの新しいグループを作る夢があるんだ。ロス・ゲレーロス・ラグネロスって名前で。そこには、お前が必要だ』。そう言われて本当に驚いたよ。ずっと前だけど、タッグを組みたいと頼んだ時は『アトランティスが俺のパートナーだ』と断られていたから」

ゲレーロ親分はそれまで、アトランティスやレイ・ブカネロなど人気の高い選手と組んできた。その親分がエウフォリアを誘ったということは「エウフォリアは売れる」と判断したということだ。

実際に2012年からの活躍は凄まじい。2012年の「グラン・アルテルナティーバ」トーナメントは、テリブレと組んで優勝。同年の「エン・ブスカ・デ・ウン・イドロ」は準優勝(優勝はティタン)。2014年の「パレハス・インクレイブレ」トーナメントはアトランティスと組んで優勝し、さらにCMLL6人タッグ王座奪取と、完全にトップ選手の仲間入りを果たしている。

しかしエウフォリアは「2013年、14年頃は思い出すのも辛い」と振り返る。その理由は「たくさんの人に『NO』を突きつけられた」から。突然スターの仲間入りを果たし、風当たりがきつくなったことは想像に難しくない。心優しき大巨人には辛い日々だったようだ。

とはいえゲレーロスに入ってからは充実の日々。エウフォリアの後にニエブラ・ロハが、さらにグラン・ゲレーロが加入したことでさらに強固なグループとなり、現在はCMLL6人タッグ王者だ。不遇のテクニコ時代から仕切り直せてよかったね…!

しかしそう簡単には終わらなかった!!! ここに来て仲間割れですよ!!! 先日のインフォルマで「俺もいろいろ言いたいことがあるんだよ」と気を吐いたエウフォリア。ついに巨人が反逆の狼煙を上げた!

きっかけとなったのは、エウフォリアと因縁が生まれたフォラステロという獲物をゲレーロ親分が横取りしようとしたこと。

番組では「ここまでは良かったんだよ」と試合動画を一緒に見ながら「ここ!」と言うのが、エウフォリアとフォラステロが場外で揉み合うシーン。そこにゲレーロがフォラステロに攻撃をしかけ、エウフォリアが「俺のだよ」とゲレーロを押しのける。しかし執拗に介入するゲレーロ。そこでゲレーロとエウフォリアのチョップ合戦が始まり…

実はこういう事件は今に始まったことではなく、過去にもおいしいライバル(トンデル、ルーシュなど)が現れるたびに横取りされるという憂き目にあってきたと語るエウフォリア。それも、ゲレーロが日本に行っている間に、残されたゲレーロスを守るために戦っていたところ、帰国したゲレーロにかっさらわれるという形だとか。それはあの、ドラマとかで見るあれですね? 部下の功績を横取りしちゃう悪の上司?

そもそも規格外に大柄なエウフォリア。はっきり言って強すぎて、好敵手を探すのも一苦労。それをパッと持っていかれたのでは、活躍の場を奪われるも同然。今回もシングルマッチで盛り上がっていたフォラステロだけに「またかよ」と腹を立てるのも当然と言えよう。

さらに、ウルティモ・ゲレーロがコロナに罹患し、チームで出場予定だった年間最大の大会「アニベルサリオ」参戦が流れたことも追い打ちをかけた。

「CMLLでは感染防止のため、できるだけ自宅待機することや他団体の興行に出ないことなど行動のガイドラインが通達されていた。にもかかわらず、ウルティモ・ゲレーロは他の団体に出ていただけでなく、ファンのサインにも応じて接触している。それでコロナにかかるなんて、プロとしてどうなんだ! コロナウィルスにより亡くなる人もいて、多くの人々が悲しい現実と向き合っているのに、無自覚すぎる」と痛烈に批判。

その上で「ルチャドールはファンサービスではなく、リング上でその価値を証明するものだ。過去に出会った真の達人たちは、みんなそれを教えてくれた」と語気を荒げる。

「リング上のウルティモ・ゲレーロは尊敬している。プロとしてたくさん学ばせてもらったし、助言ももらった。でも俺は今、人としての話をしてるんだよ!」

そして決まったのが11月27日のシングル対決だ。

ここで気になるのがウルティモ・ゲレーロの「助言」だが、それも2019年のインタビューで語っている。

「ウルティモ・ゲレーロの助言というのは、たとえばこんな感じなんだ。

『目の前にうまそうなケーキがあるとするだろ。だったら、クリームを味見するだけじゃだめだ。全部かっさらうんだよ』

こんなふうにいつも少し遠回しだけど、心が沸き立つことを言ってくれるんだ」

エウフォリアはその助言通り、今度こそチャンスをものにしようとしているのかもしれない。

珍しく熱く語るエウフォリアに、ケーキを全部食う意気込みを感じるのは、私だけではないはずだ。


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