アンダレー 2020.7.8

ランボー裁判官によると判決は皆殺しです

このところランボーのことしか考えていない。『ランボー ラスト・ブラッド』を観たからだ。

1作目は世の不条理への代弁者として、それ以降もさまざまな巨悪を主に暴力的な手段で倒してきたランボー。今回のテーマは「復讐」。ランボー怒りの復讐という直球だ。

一般の民にとって、なかなかハードルの高い「復讐」。実行した人は少ないのではないでしょうか。私もありません。

復讐しない理由としては、まず、復讐を考える自分の顔は醜い。
憎い相手をどうにか痛い目にあわせてやろう、などと考える自分の顔が夜の窓ガラスに映っていたりすると、あまりの醜さにギョッとします。そんな自分でいたくないですね。

また、復讐には能力が必要で、能力がない場合は時間やお金が必要となります。
例えば司法に訴えるためには、相手の非を立証する証拠を集める必要があり、ガードマンや弁護士を雇えばお金もかかる。私の最低時給は3000円に設定しているので、1時間復讐のことを考えるだけで3000円のマイナスになります。もったいない。時間もお金も、どうせなら大事な人のために使いたい。

何より個人の復讐は法律で禁止されている。これが決定的なハードルとなります。

しかしランボーはそんなハードルをものともしない。

復讐を考えるランボーは醜いだろうか。いや、むしろ燃える信念が美しい。私と違って復讐の似合う男ですよランボーは。

元グリーンベレーのランボーなら復讐に必要な能力は既に持ち合わせている。社内費でまかなえるので実質0円です。

そして文明社会の法はランボーには及ばない。

いや、及ぶ。けど、1作目で逮捕されたランボーが2作目で娑婆(戦場)に出るように、この世に悪がある限りランボーには恩赦が適用される可能性が高い。
また、今作で言うと、アメリカとメキシコは犯罪者引き渡し条約を結んでいるとはいえ、それが機能していれば、ランボーだってアリゾナで馬の調教などしながらおとなしくしていますから。

法が機能しない時こそランボーの出番です。

そしてランボーはいざ復讐へ。天から授かったギフトのような殺しのスキルを炸裂させて派手にやります。いやー、過去作とあわせて最もカタルシスを感じましたね!

しかし。

世の中ではそうでもないようだ。

まあ、5作目が一番いいって人は少ないですよね。

しかし。

もしかしたらテーマに乗っかれない人(おもに男性)が多いのではないか。

今回のランボー怒りの復讐の引き金は、娘のように育ててきたガブリエラちゃんが人身売買組織によって性犯罪被害にあったため。

この相手を敵として不足に感じる人もいるかもしれない。

『映画秘宝』のインタビューでスタローンが「相手を麻薬カルテルにはしたくなかった(略)もっと低次元の、地元のギャングでないとダメだ」と語る通り、今回の敵は「低次元な地元のギャング」。これまでアメリカ全土に蔓延する無理解や、ベトナム軍やソ連軍、軍事政権下のミャンマー軍など、国家レベルの敵と戦ってきたランボーにとって、そこまで強大な敵ではないと思われてもしかたない。

しかも罪状も罪状だ。国民を無差別に殺しまくったわけでも、大佐を誘拐したわけでもなく、被害者は女の子たち。つまり人身売買と性犯罪。日本でも性犯罪への注目度は低いことから、この時点で共感や感情移入に失敗した観客はたくさんいそうですね。

まあ私などは女性ですし、娘もガブリエラちゃんと年が近いですから。顔も似てるような(気のせい)。

そんなガブリエラちゃん、そして同じ年頃の名も知らぬ女の子たちが性犯罪被害にあっているとなると、もう感情移入しまくりです。明らかにレイプされているけど「もしかしたら悪い夢を見ているのかも」などと事実も歪めにかかります。

いや、現実を見よう。完全に陵辱されている。このあたりでもう「ゆ・る・せん!」と怒り心頭です。もし私が闘将拉麺男だったら服が全部破れるところです。

そんなわけで、いざランボーが復讐に取り掛かったときのカタルシスときたらなかったですね。

まあ1人ずつ殺しますよね、ゲリラ戦のプロですから。手下をサッと殺し、ナンバー2もまあちょっとした手法で殺します。それが終わったら売春宿に客を装って侵入。入り口で手下を殺し、客もまとめてやっていきます。

ここでも共感はズレるかもしれません。性風俗の一般客なのに、ひどい目にあう点です。
性風俗に行くことを公言する芸人さんも多いし、言ってみればナイナイの岡村さんが股間にナイフを突き立てられるわけですから。何なら観客の中にはそっちに自分を重ねる人もいるでしょう。

さて、ランボーはそのように客も含めて掃討しながら、囚われた女の子たちに「逃げろ!」と促すも、しかしながら女の子たちは全員が「できない」と逃げない。今までに、助けた捕虜が逃げなかったことがあったでしょうか。アメリカ兵も宣教師も、助けられた瞬間に自由に向かって駆け出します。

でも女の子たちは、逃げた後に起こる第2の悲劇を考えると「もっとひどい目にあわされるかも」という恐怖で逃げられない。乱暴に言えばこの構造は、編集者のセクハラにうまく対応しないとライター生命を絶たれるのと同じです。いや、これは乱暴すぎた。とにかくここまでの弱者が囚われたことはランボー史上初ですね。さらなる感情移入がマシマシで起こります。

そんなわけで復讐の舞台がアリゾナのランボー宅に移ったときには、カタルシス爆発です。手を変え品を変え、趣向を凝らした手作りトラップでギャングを1人ずつ殺します。しかも手掘りの自作トンネル内で。あの指向性散弾のような手作りの装置はクレイモア地雷とはちょっと系譜が違う気がするんですけど何が元ネタなんですかね。

いやそんなことはどうでもいい。ここで美しいのは、目的は「裁き」なので、殺しの際に不必要にいたぶらないところ。罠にかかったらすぐ殺すのが、ランボー哲学です。

そして地元ギャングのボスを、まあちょっとしたスゴイ手法で殺して、完了。

罪状は女性に対する性搾取でしたが、ランボー裁判官によると判決は皆殺しということですね。了解です。GJ!GJ!

そんなタイプのカタルシスでした。

ところで、強姦致傷や強制わいせつではどれぐらい求刑されるのか気になって調べたところ、ほとんどが逮捕された側に向けた弁護士の解説でした。笑える。あ、これが「草」ってやつですね。

ともあれ。法が及ばないときは自ら報いを受けさせられるランボー。そんな人間がどこかにいると思うと、なんと胸のすくことでしょう。とくに被害者が弱者の場合にはより一層、強く感じるのでありました。そういう意味では1作目のテーマと近いと言えます。

5作目か…とまだ観ていない諸君はすぐ映画館に行きましょう。そんで私とお茶して語りましょうよ。ランボーの素晴らしさについて。さあ、今すぐ。騙されたと思って。
お願いしますよ。


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