2019.3.5

おばあちゃんのこと

先日、祖母が亡くなった。年末から入院していて、数日前にあまりよくない旨は聞いていた。電話口でポロポロと泣いたのち、娘の受験が控えていることから葬儀への参加は控え、しばし日常と向き合った。

その間、祖母とはどんな人だったのかをたびたび考えることになった。

小さな頃、障子に穴を開けて怒られた時以外は安定して大好きだった。磐石の好きの対象。しかし、いったいどんな人だったのかというと、よく分からない。

取り乱しているところを見たことがない。いつも慌てず淡々としていた。弱々しさも感じたことがない。両膝に人工関節を入れたときも、黙々とリハビリをしていたようだ。気が強い人だとも聞いたことがある。
祖母の人となりを葬儀や通夜で聞きたかったが、いずれ父と伯母に聞くことにする。

広島の家庭史は、原爆と切り離せないものでもある。
祖父は戦後、戦犯だったため、仕事に就けなかった。そのため祖母が働いて家計を支えた時期がある。小学校の教師だった。

ちなみに祖父が戦犯というのは本人の「業績」によるものではなく、曾祖父のものだ。日本軍で、少なくとも祖父より位の高かった曾祖父は、GHQの判断で戦犯とされたが、間もなく二次被曝による原爆症で亡くなったため、祖父が戦犯となった。えっ、戦犯って世襲なの?と思ったが、広島にはそういう人は多いかもしれない。原爆投下後の広島市内で遺体を集めた軍人は、全員が二次被曝しているはずだから。

ともあれ、そんなわけで仕事に就けなかった祖父のかわりに家計を支えたのは祖母で、それについて本人の口から詳しく聞いたことはない。不平不満も聞いたことがない。

その後も、市民というのは歴史に翻弄されるもので、貨幣改革で貯金がほぼゼロになり、さらに土地改革では、地主であった祖父は自分の土地を失うことになる。
それについて、曽祖父が亡くなったことで25歳にして家長となった祖父は「若かったけぇやられてしもうたわ」と仁義なき戦いの顔で言っていたが、祖母は何も語らなかった。

女は発言しない時代だったのか?
勝ち気な祖母にとって、そんな時代に生きることは無念さがつきまとうことではなかったか?
そういうものだと諦めていた?
それとも腹をくくっていた?
そのうえでせめて泣き濡れたり、不平を言わないようにしていた?

考えれば考えるほど、女の美しい生き方の手本のような気がしてくる。その時その時で最適の解を出し、決意を黙々と実行した気配がある。

そして私には単なる優しいおばあちゃんだった。仕事を終えた駅のホームで「おばあちゃん」と声に出してしまいハッとする程度には取り乱した。亡くなって1ヶ月経つがまだそんな調子で、でもまあ人は必ず死ぬし、生きて居たという事実はなくならないから、などと思いつつ、しばらく生活していくことになりそうだ。

1月に入院先でおしゃべりした時はまあまあ元気で、何か聞くと、あれ、ブラックホール経由かなと思うぐらいの間をおいて、きちんと返事が返ってきた。

もっと祖母の個人史を聞いておけばよかったかもしれないが、たぶん多くは語らなかったんじゃないかな。
そういう血は私にも流れている気がする。それは大変に心地よいです。


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