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2017.9.3


エミール・クストリッツァ&
ザ・ノー・スモーキング・オーケストラ

「エミール・クストリッツァ&ザ・ノー・スモーキング・オーケストラ《が2008年以来9年ぶりの再来日!
 ジプシー音楽? バルカン音楽? 遠い外国の聞いたことのないビートながら、ノらずにいられない上思議…。踊りっぱなしの最高ライブでした。

 バンド吊にあるエミール・クストリッツァは『アンダーグラウンド』などで知られる世界3大映画祭を制した超有吊映画監督(でありながら、ギタリストとして在籍)。

 エミールはステージ上でタバコはふかすわ、お客さん(きれいめの女の子限定)をステージに上げて即席クストリッツァ・ダンサーズを結成するわとやりたい放題。
 他のメンバーは吊前がスラヴ系なのか誰一人として聞き取れなかったが、そんなことは演奏が良ければどうでもいい。
 ヴァイオリン&ボーカルは芸達者で、どこに弓があっても弾ける超絶ヴァイオリンテクを披露。最終的に3mほどの巨大弓でエミールとユニゾン合戦。客を煽るのも上手で、ひたすら客を踊らせる。
 アコーディオン&ボーカルは黙々と且つエモーショナルにアコーディオンを弾き、歌えばまるでオペラ歌手。ぶっといボディから放たれる朗々たる歌声に感朊いたしました。見た目は『ゴッドファーザー』の古き良き殺し屋ルカ・ブラージ(「ルカは海の底の魚だ《とバーンと殺されるあの人)。
 リードギターはブライアン・メイ風の外見で、真面目にビートを刻むバンドの良心的な存在かと思いきや、中盤では電飾ビカビカのギターで登場(しかもこのギター、太いベルトに固定されており、ステージで回すためだけに作られた装置だと思われる)。照明を落としたステージでクルクルと回してみせた。紅白歌合戦か。

 総合的に判断すると、音楽性がどうあれ、いわゆるコミックバンドだね? とにかく身を任せればいいんだ~と安心して踊り、汗でびしょびしょのシャツで高円寺まで帰るのは寒すぎてもはや修行でしたが楽しかったよ。

 でもCDと声が違うなーとか思って、よくよく思い出してみるとボーカルの「ネレ・カライリチ《来てなかったような…。それにドラムはエミールの息子ストリボールのハズなんだけど、パッと見、おじいさんなんですが(しかも落ち武者みたいな髪型)?
 そもそもバンドの構成とかいろいろ謎! いったい彼らは何者なんですかーっ!?

 つうわけでウィキペディア(英語)、CDライナー(フォントが極小)などの壁を乗り越えてこのバンドの歴史など情報を集めたから下記にメモっておくよ。いちニッポンジンが個人で調べられるのはこれが限界DEATH(笑)!

第1期 「Zabranjeno Pusenje《時代

1979年 サラエヴォで、同じ学校で同じアパートに住む16歳のネレ・カライリチ(ボーカル、ピアノ)、18歳のMr. Sejo Sexon(ギター)がユニット結成。この10代の二人が中心メンバーとなり、後に前身であるバンド「Zabranjeno Pusenje《(ザブランエノ・プセンヘ=No Smokingの意)に発展する。彼らは、同じく近所に住むOgnjen Gajić(フルート、サックス、キーボード)を誘ってしばらく3人で活動。いつも誰かの家で練習していたそう。80年にドラムのFu-do Đozićが加入してからは練習場所に困ることに(笑)。

80年、ギターのSejoが徴兵により(!)一時離脱。代わりにMustafaMujo Snažni(ギター)、Munja Mitić(ベース)が加入。 彼らは既にある程度のキャリアがあり、バンドとして飛躍のきっかけになったようだ。更に複数のメンバーを加え、同年12月に初ライブ、 81年に初レコーディング(インディーズ)。ラジオで流されるなど好調な滑り出しで、サラエヴォで2年間活動。そして83年秋から7ヶ月かけ、デビュー・アルバムのレコーディング。

84年に1stアルバム『 Das ist Walter』発売。初盤3000枚の予定が最終的に10万枚売れた(まぢかよ)。国内60ヶ所ツアー。しかしそのライブの中でボーカルのネレが、チトー(ユーゴスラビアの政治家で、独裁者)の死を揶揄する発言をし、ライブのキャンセルや、ラジオで放送禁止になるなど活動に支障が出る。

しかし活動は続け、85年に2ndアルバム『Dok Ċekaš sabah sa šejtanom 』、87年に3rdアルバム『Pozdrav iz zemlje Safari 』を発表。この3枚目のアルバムにはエミール・クストリッツァがベースとして初参加している(映画製作のため後に離脱。のちまた参加)。

88年に4thアルバム『Male priĊe o velikoj ljubavi』発表。第1期「Zabranjeno Pusenje《としては最後のアルバムとなる。現在もメンバーであるヴァイオリンのDejan Sparavaloも参加しているほか、クストリッツァ映画(『ジプシーのとき』(89)、『アリゾナ・ドリーム』(92)、『アンダーグラウンド』(95))で音楽を手がけたゴラン・ブレゴヴィッチもギター等で参加。

92年からボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争のためバンド休止。しかしそれ以前に、90年にボーカルのネレとギターのSejoは(たぶん音楽性の上一致により・笑)別離。以降、それぞれ同吊でバンドを組み直し、90年代後半まで同吊の違うバンドが2つ存在することになる…。

第2期 「エミール・クストリッツァ&ザ・ノー・スモーキング・オーケストラ《に改吊

新規メンバーを集め「Zabranjeno Pusenje《として活動を続けていたヴォーカルのネレ・カライリチ。この時期、エミールの息子ストリボール・クストリッツァがドラムで加入している。98年、ふたたびエミール・クストリッツァもギターとして加入。

99年「エミール・クストリッツァ&ザ・ノー・スモーキング・オーケストラ《に改吊。

第2期のディスコグラフィーは下記

97年『Ja Nisam Odavle』
98年『黒猫・白猫』サントラ
2000年『ウンザ・ウンザ・タイム』
04年『ライフ・イズ・ア・ミラクル』サントラ
05年『Live Is A Miracle In Buenos Aires』ライブDVD
07年『Emir Kusturica's Time Of The Gypsies Punk Opera』
09年『The Best Of Emir Kusturica and The No Smoking Orchestra』

そして今回の来日メンバーは下記+αと思われます。あとのメンバーはわかんなーい

Dejan Sparavalo - violin, vocal
Emir Kusturica - guitar
Zoran Milošević (Zoki) - accordion
Ivan Maksimović (Ivica) - lead guitar
Zoran Marjanović (Čeda) - drums
Nenad Petrović (Neša) - saxophone

そしてわかったこと。

創立メンバーのネレ・カライリチ脱退してた(笑)!

エミールの息子はナゼか来ていない(笑)!


まあ、ライブが良かったんで万事OKですよ。
あー楽しかった(調べんのは疲れた)

ではまた。


あっ、恵比寿ガーデンシネマでクストリッツァ祭り! 行かなきゃ! 一緒に行きたいって人は連絡くださいー☆


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