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2016.3.21


自由とは何だろう

 今月は「自由」についてよく考えた。なぜなら今月の短歌の会が「自由」のテーマ詠だったからだ。

 自由とは何だろう。辞書には「他からの束縛を受けず、自分の思うままにふるまえること」とあるが、思い浮かぶのは自由な友人たちのこと。私には実にのびのびと生きている友人がたくさんおり、ある人を催しに誘ったらこう断られたことがある。

盲目の黒人歌手のアルバムをイチから聴くので欠席します

 何とかっこいい姿勢だろうか。それに引き換え、私の自由への疾走は失敗続きだ。
 実家を出て一人暮らしをはじめ、あまりの自由さに身を震わせながらまずやったのは、実家にいる時はできなかったこと(お母さんに怒られるため)。よーしタブーを破るぞ。

 まずは寝っ転がってカップ麺を食べた。
 むせた。寝てラーメンは食べづらい。

 ウインナーを2袋茹でて全部独り占めして食べた。
 胸焼けした。ウインナーはほどほどがうまい。

 食べ物はもういい。実家ではチャンネル権争いで実現しなかった「ゴッドファーザーを1から3まで全部ぶっ続けで観る」を決行。
 眠い。人殺しは少しで十分だ。

 自由とは何だろう。急遽、自分サミットを開催。出席者は次の通り。<教育委員会、科学者、ポールダンサー、心折れた詩人、大仁田厚 ほか>

執拗に電流爆破を主張する大仁田厚を遮って教育委員会が言う。
「社会的立場も考えてくれたまえ。学校で子供がいじめられるぞ」

大仁田厚を押しのけて科学者が言う。
「自由に制限は付き物だ。酸素がなければ人間は生存できない。常に制限されて生きているのだ」

ポールダンサーが言う。
「人間は見た目も大切よ。美人とブスでは自由の度合いも違うのよ」

心折れた詩人が言う。
「我々は、かりそめの反逆心を燃やしてきただけだ」

ついに大仁田厚がバッタリと倒れて叫ぶ。
「真鍋ーーーッ」


 私の中の大仁田は諦めることを知らない。寝てラーメンにむせてもウインナーに胸焼けしても、欲望に任せてタブーを破り続けた。意外と誰からも文句は言われず、それはタブーではなかったことを知っていった。思い込みだったのだ。

 今も欲望はとどまるところを知らず、大仁田は動き続けている。言いたいことがあり、知りたいことがあり、やりたいことがあり、どうしても応援したい女子プロレスラーがいる。酸素がある場所でブスなりにすべて実現していくつもりだ。私は今、とても自由だと思う。だってフリーライターなんだから。

 感動的なオチが付きそうだがそうはいくか。つまり私が言いたいのはですね。

「3/28〜4/3はアメリカで遊ぶという大事な用があるため仕事休みます」

以上です。(ブログもお休み)


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