2015.10.6
問題のグランド・キャニオン(遠景)
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グランド・キャニオンに行ったと
ウソをついた
昨日ついたウソが気になって眠れない。娘の運動会でのことだ。
久しぶりのNさんとそのお義母さまと立ち話をしたのだが、お義母さまは無口な方なのか、どうにも話が弾まない。しばらくしてNさんが「私の夫は実はアメリカ人で」と言った。確かにお義母さまは明らかに外国人だ。最初に気づくべきだった。
夏にアメリカに行きましたよと英語で言うと笑顔になり、どこに行ったのと急に盛り上がる。
「ユタ州とアリゾナ州? それならグランド・キャニオンは行ったわよね?」
「はい。とても素敵なところでした」
ウソだ。グランド・キャニオンには行っていない。岩山の間を運転する気分じゃなかったから迂回したのだ。
しかしウソをついてしまった。なぜか。
観光地で行かなかったところはたくさんある。ロサンゼルスに行ったけどユニバーサルスタジオには行ってない。これは「行列に並ぶのが嫌だから」と言えば、ああそういう人もいるよねと許してもらえそうな気がする。それにLAには他にも観光スポットがたくさんある。
しかしユタからアリゾナに抜ける際、グランド・キャニオンに行かないのは、広島で原爆ドームを観ないのと同じかもしれない。更には寿司屋で寿司を食わないようなものかもしれない。その理由が「気分じゃない」でいいのか。怒られそうな気がする。
実は他にも言い訳は考えてある。最優秀作品は「山の神の怒りに触れ突然の腹痛」だが、できれば使うのは避けたい。ということは、このままグランド・キャニオンには行ったとウソをつき続けなければならないのだろうか。生まれてから一度もウソをついたことがない正直者の私だ。メンタル面が心配だ。
しかし希望がある。「寺山修司もグランド・キャニオンに行ったけど景色を一度も観ていないそうだよ」と、とある席で穂村弘さんが教えてくださったのだ。
あの寺山修司だって観ていないのだ。私が行かなかったとしても不思議じゃないだろう。問題は、私に寺山修司的要素がひとつもないことだ。まず時代の寵児じゃない。青森出身でもないし、劇団も主催していないし、田園にも死さないし…いや、寺山には歌人としての顔もあったはずだ。短歌なら私にも作れるかもしれない。ちょうど先日、作ったものが…
真夜中にささきいさおが間違えてカウンタックに話しかければ
だめだ。書を捨てて町に出る感がまったくない。しかしあきらめるわけにはいかない。「あの寺山修司も…」と言うためだ。
流れ星眺める猫がいなくなる ささきいさおの読む徒然草
だめだー!
ではまた。
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